この記事は以下に当てはまる人にオススメです。
- 優しい性格のせいで損ばかりしてきた
- 優しい性格のせいでいつも対人関係で疲れてしまう
- 優しくて断れない性格のせいでいつも他人に振り回される
- 優しい人はどうでもいい人だと思われるんじゃないかと思う
- 優しいせいで傷つきやすくて悩んでしまう
- 優しいせいでナメられる
- 優しすぎるとよく言われてしまう
- 人に怒れない
- 優しさを捨てて超合理主義に生きたい
- 合理的になりたくてサイコパスに憧れてしまう
- 優しい人間であるべきか疑問を感じる
- 優しいというか気弱な性格である
こういった人の悩みを解決していきます。
本記事の内容
- 優しいと損するのが現実
- 優しさよりも大事なのは「強く賢い」こと
みなさんは優しい性格のせいで損したことはありませんか。
優しい自分に悩んだことはありませんか。
「親切であれ」とか「人に優しくすべきだ」と子供の頃から教わってきましたが、
大人になった今では疑問に感じませんか?
僕は相当悩みました。
冒頭にある「この記事は以下に当てはまる人にオススメです。」なんてまさに過去の僕は全て該当していました。
今も割と該当はしているんですけども笑
子供の頃なら学校の道徳の授業やいじめ防止運動、公共のマナー教育
大人になったら自己啓発や宗教の教え(キリストの博愛や隣人愛、仏教の慈悲など)
でどれも共通して根本にあるのが「優しくあれ」という精神です。
しかし果たして本当に優しさがこの世の全てなのでしょうか?
優しい人間は正義であり、報われるのでしょうか?
それで本当に幸せになれるのであればとっくに人類みんな幸せになってるはずですよね。
優しさが全てであれば
世界中から親切だと賞賛されている日本人(僕は個人的にそう思いませんが)は世界でもっとも幸せで
国家としても成功しているはずですがどうでしょうか。
むしろ正反対の現象が起きています。
最近だと、やけに自己主張の強いアメリカやロシア・中国の方がよっぽど成長していて世界的な影響力がありませんか?
ん?なんで優しさとは縁がなさそうなトランプとプーチンの国家や
マナーが悪いと言われている中国がこんなにうまくいってるんですか?
もっと言うとフィリピンでは麻薬所持者を次々と射殺する過激なドゥテルテ大統領になってから
フィリピンの経済発展スピードも凄まじいことになってますよ。
しかもドゥテルテ大統領の支持率も一部では9割にも上るというので驚きです。
過去にユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)をしていたヒトラーについても取り上げましょう。
第一次世界大戦後のフランスからの超高額の賠償金請求(ベルサイユ条約の調印)と
その10年後の世界恐慌でドイツ国内が壊滅状態だったのを
ヒトラーは巧みな外交手腕と経済政策でドイツを復興させたのです。
当時のナチスがどれだけ支持されていたかは周知の通り。これも優しさとは正反対でうまくいったパターンですね。
優しさや思いやりで人生がうまくいくと主張する人(主に自己啓発界隈の人間)に
これらの事実を突きつけて問いただしたいのですが笑
さて、燃え上がってきたところで本題に進めていきたいと思います。
- 優しさは果たして正義なのだろうか
- 優しいと損するのではないか
- 優しさは捨てるべきではないか
といった問題提起をします。
結論から言うと
優しいと損するのは本当です。
優しさは二の次です。もっと大事なことがあるのです。
それが具体的に何なのかは記事を読み進めていただければなと。
以下で具体的に解説していきます。
4~5分ほどで読み終えるのでぜひ最後までお付き合いくださいませ。
優しいと損するのが現実
優しいととにかく損ばかりです。
優しい人はたいていの場合、過去にあったいじめや虐待・失恋などのトラウマから八方美人になっているのです。
つまり
嫌われるのが怖くて自分の意見や考えがうまく言えなかったり、人からの誘いやお願いを断れなくて苦しむのです。
その結果、ズルズルと人に流されて悪いトラブルに巻き込まれたりします。
例えば自己啓発セミナーに行くと周りのお客さんは基本的にみんな「いい人」です。
今の僕のような内心ひねくれた人はまずいません笑
グループワークで話すと本当に根が優しくていい人たちばかりです。
彼ら(彼女ら)にセミナーに参加した理由を聞くと
- 「友達がどうしても来てほしいって誘ってくるから断れなくて」
- 「職場での人間関係をもっと良くしたくて」
- 「自分の人間力を高めたくて」
- 「昔いじめられたことがあって、自分を変えたくて・・・」
普通にめちゃくちゃいい人たちですよね。
残酷なことを言うと
こういう優しい人たちが世の中では搾取されます。
セミナーも営業も勧誘もアウトバウンドビジネス全般にも言えることですが、
断れないような心の優しい人たちがつけ込まれます。
たとえ営業マン達に悪意は全くなかったとしても
世の中の動きとして
客観的に見てゴミみたいな商材や、お客さんにとって本当は必要のない商材を
会社の売り上げを伸ばすために売ることになってしまいがちです。
分かりやすい代表的な例として自己啓発を挙げましたが
実際のところ自己啓発セミナーに行くと残念な目に遭ったり残念な人とつるんだりしがちなのは過去の記事でも話した通りです。
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要するに、優しい人は資本主義社会において苦労するような仕組みになっているのです。
資本主義社会はあくまでも自分が食っていくために利益追及の競争をしていくシステムですから
このシステムにおいてのルールはあくまでお金を稼ぐことが正義であり、優しさの有無は求められていません。
営業マンが優しいのも店員が優しいのも自分がメシを食っていくための手段として優しいに過ぎないのです。
つまり優しいだけの人間はこの社会においては「弱者」になるのです。
大人の社会に限らず子供の世界においても同じです。
学校でいじめられる子供はたいてい心の優しい子ではありませんか?
いじめられる苦しみを知ってるから優しいのか、優しいからいじめられるのかという論争もあるかもしれませんが
少なくとも、いじめっ子よりも優しい性格であることは間違いありません。
そしていじめによって心に傷を負った優しい子どもは大人になってもどこか人間関係をこじらせてしまいがちです。
心理学で言えば「インナーチャイルド」が傷つき、「セルフイメージ」が低いのですから。
自分は価値のない人間なんだと思いながら生きていればそりゃ大人になっても対人コミュニケーションがうまくいくはずがありません。
そう考えると優しい人は幸せな人生を送ることが非常に難しいのです。
ここまで断定的に言えるのも
僕がそういう経験をしてきたからなんですけどね笑
また、優しい人は何かトラブルがあると何もかも自分が悪いと思って背負いこみがちなので鬱になりやすいです。
あなたが明らかに悪くなくても環境や周りの人間が悪ければトラブルは起きるのです。
それでも彼ら(彼女ら)は優しいあなたに対して「お前が悪い」とあなたを悪者にしたがるのです。
このことについても過去記事で詳しく書いているのでご参照くださいませ。
いろいろ話しましたが、この時点では「優しいと損する」のが現実であり社会であると分かればOKです^^
優しい人は優しくない人に人生を食われますのでご注意を。
優しさよりも大事なのは「強く賢い」こと
資本主義社会において優しいだけの人は弱者であり、搾取される存在であることは前述の通りです。
では優しさよりも大事なものは何でしょうか?
結論から言うと「強く賢い」ことです(当ブログのテーマでもあります)。
「弱い者いじめ」という言葉からも推測がつきますが
学校で喧嘩が強そうな人をいじめることはありますでしょうか?
職場において誰よりも仕事が優秀な人をいじめることはありますでしょうか?
街を歩いていて、不良が筋骨隆々な人に対して喧嘩を売ることはありますでしょうか?
車を運転していて、高級外車に対して煽り運転することはありますでしょうか?
絶対にないとは言いませんが、まずありませんよね。
これが現実です。
人間は生き物である以上、弱肉強食の本能が備わっています。
しかも資本主義社会を我々は生きています。そう考えたら弱者が虐げられるのも当たり前の話ではないでしょうか。
特に優しい人は基本的に無抵抗であり無害な人間なので「弱者」と見なされナメられやすい現実があります。
世の中には残念なことに「優しさ」を「弱さ」と見なす風潮が存在するのです。
冒頭でお話ししたように「優しさ」や「親切心」、
良心に訴える平和がウリの日本は現在国際社会において肩身の狭い思いをしています。
- 自己主張の強いトランプ
- 裏社会のボスであるプーチン
- 独裁的で8千万人もの共産党員を従える習近平
- 正義のために次々と罪人を射殺するドゥテルテ
- 生粋の独裁者で核兵器を脅しの交渉材料に使う金正恩
彼らが強い力を持っているのは決して「優しさ」のおかげではありません。
いかにハッタリをかましたり、大衆をコントロールしたり、
暴力的な手段で見せしめにしたり、誰かを欺いたりするかでうまくいっている要因があるのです。
とはいえ僕は決して人を欺くことを勧めているわけではありません。
なぜなら彼らは政治の世界に生きているからです。我々とは違う世界にいる人たちです。
ただ、知っておくべきなのは「優しい」のが正義でもないし理想のあり方でもありません。
「優しさ」は二の次であり、もっとも大事なのは「強く賢い」ことなのです。
「優しさ」で平和に生きることはできません。
こういった話をするときに僕がいつもお手本にしているのがスイスの考え方です。
スイスは永世中立国であり、平和な国として認識されています。
しかしスイスは思いっきり武装しており国民には兵役の義務が課せられています。
その兵力で他国をいきなり攻めることはしませんが
もしどこかの国がスイスを攻めることになったら容赦なく反撃し徹底的に潰しますよ、という姿勢です。
つまり自分を守るために強くあり続けているからこその平和なのです。
日本のような相手の良心に訴えて平和を語ったり、アメリカに守ってもらおうという意識とは根本的に異なります。
日本の政治や歴史を見ても分かりますが、日本の平和や正義はアメリカと仲良くなることです。
だからアメリカに媚びへつらうことになり
米軍基地問題や思いやり予算(米軍基地の無駄遣いに日本国民の税金がつぎ込まれている!)問題、
集団的自衛権問題が発生するのです。
これは僕の意見ですが
「優しさ」や「良心」という言葉で自分たちが「弱者」であることから目を背けて
「強者」にすがりついて語る平和ほど惨めなものはありません。
平和に生きるためには自分が強くなるしかないのです。
これは国家間の話だけでなく人間関係でも同じです。
人間関係の例は先ほどからいくらでもあげているのでもうお分かりだと思います。
「優しさ」を捨てろとは言いませんが、
「優しさ」が全てだという考え方は今日から捨てましょう。
優しさで生きて虐げられてきた僕が声を大にして言います。
自分の中の毒を捨ててはダメ🙅♂️
優しいだけの無害な人間になってしまうと食い尽くされるよ。
フグが調理で毒を抜かれてから人間に食べられるのと同じように
あなたも毒を抜かれると他人に食い尽くされる。
自分の身を守るために毒を持つべき🐡
— とよでぃ@キレイ事よりも論理 (@toyotaro0420) April 24, 2019
自分の中の毒を捨ててはダメ。
優しいだけの無害な人間になってしまうと食い尽くされるよ。
フグが調理で毒を抜かれてから人間に食べられるのと同じように
あなたも毒を抜かれると他人に食い尽くされる。
自分の身を守るために毒を持つべき。
というわけで、優しさ100%人間ではなく
毒を含んだ人間になってください。
優しさでメシは食えません。
優しさで人は救えません。
優しさで自分の身を守れません。
もっとクリティカルな人間になってください。
「強く賢く」なりましょう。
まとめ
- 優しいと損するのが現実
- 優しさよりも大事なのは「強く賢い」こと
最後に、本記事を読むような根が優しい人向けにオススメの記事を貼り付けておきます。
優しい人が悩みやすい内容を厳選しました。
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それでは横浜みなとみらいにあるカフェのテラス席から本記事をお送りしました^^
(あいにくの曇りですが)
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