この記事は以下の悩みを持つ人にオススメです。
- 人間関係に疲れている
- 自分の人生に目的や叶えたい夢がある
- 合理的に考えるタイプである
- 合理的に無駄なく生きたい
- 結果にこだわっている
- 他人に自分のペースを乱されたくない
- 他人に振り回されたくない
- 人間関係で余計な悩みを抱えてしまいがち
- やりたいことがあるけどシガラミが多くて消耗してしまう
こういった人の悩みを解決していきます。
本記事の内容
- 目的第一、人間関係は手段
- 人間関係への執着が究極に無駄である理由
今回は割と炎上しそうな内容ですが、「人間関係を深く築く必要なんてそもそもなくね?」って話です。
一般的には「人間関係は広く浅くよりも狭く深くがいいよね」と言われています。
これには僕も同意見です。
しかし、この話をもっと極限まで突き詰めると「そもそも深く付き合おうとする必要ってある?」という話になります。
自然と深く付き合う仲になったのならそれは素晴らしい関係なのでわざわざ切る必要はないです。
しかし深く付き合おうとする試みや執着があれば「そんな必要ある?」って問いたいです。
先に言っておきますが、僕はかなり合理的に考えるタイプの人間です。
それは普段の記事でもなんとなくお察しいただけていると思いますが笑
本記事ではサイコパスな発言をするのでそれでも大丈夫であれば読み進めていただければなと。
3分ほどで読み終えるのでぜひ最後までお付き合いくださいませ。
目的第一、人間関係は手段
結論から言いますが、僕の考えでは
目的第一、人間関係は手段
なので人間関係は深く築く必要はないと思っています。
自分の人生における目的さえ達成できれば人間関係はさほど重要じゃないです。
例えば、ある会社でITスキルを磨いて将来独立したいと思っているなら
職場の人とは円滑な対話と気さくさを演出はしても、本心で深く関わる必要性は薄いわけです。
なぜなら職場の人と深く関わることで情やシガラミができると独立したいという目的を達成しづらくなるからです。
深く関わってしまえば独立しようにも会社や仲間を裏切るような背徳感に苦しんだり、
あるいはみんなと一緒にいるのが楽しくて「もうこのままずっとここにいていいや!」と生ぬるいお湯に浸かりたくなってしまいます。
過去の記事でも話しましたが僕は営業マン時代は他の営業マンとは違って同僚や上司と飲みに行ったり麻雀しに行ったりはしませんでした。
なぜなら僕の目的はあくまでその会社で学びや経験を得て、自分が稼ぐことを目的としているので
上司に奢ってもらうのを楽しみにどこかに連れて行ってもらったり、だらだらと飲んで過ごしたり
できない営業マン同士でつるんだりする必要性も理由もないのです(他人に興味を持つより自分のことだけを考えた方がいいのではと思ってました)。
仲良くなることで何か目的が達成されるなら仲良くしますが、必要以上の馴れ合いはしたくなかったのです。
今は当時よりも人当たりが丸くなって、身近な人と楽しく冗談を言ったり円滑なコミュニケーションを取っていますが
相変わらず本心は別のところに置いてます。
自分のことを何でもかんでも話すのではなく、相手の利害を見た上で話さなくていいことは話さないようにしています。
僕が変わり者である以上、人生において大事にしていることや目的・使命は誰にも理解されないことを知っているからです。
所詮、職場の付き合いなんて利害の一致でその場に居合わせただけです。
どんなに職場の人と仲良くなったとしても会社や上司の利害に反することは言わない方がいいのです。
就職面接でよく「将来やりたいことはなんですか」と聞かれますが、会社の利害に反することがあればたとえ本心でやりたいことだったとしても言えばアウトなのです。
嘘でも会社の利益になるような将来の夢を作っておかないといけないのです。
つまり会社や職場の人間とは始めから利害関係や契約関係でしかないから僕は本心で彼らと深い関係を築こうとは思いません。
良い言い方をすれば公私混同したくないですから笑
だから僕はあくまでも目的達成のためにそれなりに周りの人とうまく付き合えればいいよねとしか思いません。
飲み会があっても行くのは月一とかの必要最低限で、二次会は行きません。
だってそんなに飲み会に行って仲良くなったところで僕がその会社を辞めたら終わる関係ですから。
それを家族だとか仲間だとか言って美化させるのは吐き気しかしません。
僕は馴れ合いではなく目的達成のための手段として人間関係をそれなりに築いています。
目的が達成できなければその人間関係は自分にとってコストでしかありません。
あわせて読みたい
ちなみに自分に何かあったときのための人脈として人間関係は築いた方がいいよという声もありますが、
いざ何か自分の身に起きたら人脈は無条件にあなたを助けてくれません。
人間はキレイに見えて意外にも冷たくて残酷なものですよ。資本主義ですからみんな自分が生きるので精一杯です。
人間関係への執着が究極に無駄である理由
前述を見ると、自分でもなかなかサイコパスな発言をしていると自覚はしていますが合理的に考えれば割と真理だったりします。
ちなみに僕はサイコパスではありません(ものすごいカリスマ性があるわけでもないし、傷つきやすいハートの持ち主です)。
自分の知見や経験から後天的に合理性を追求するようになりました。
そんな僕から言わせていただきますが、人間関係への執着は究極的に無駄です。
その理由は以下の通りです。
人とは話しても分かり合えない
過去記事でも同じことを言いました。
「腹を割って話せば分かり合える」は嘘です。
人それぞれ価値観や知能レベル、生まれ育った環境、利害が様々なので
話し合ったところで分かり合えません。
話し合いで全て解決できるなら世の中に戦争も外交問題も裁判も夫婦喧嘩も存在しませんよね。
意識を高く何事も真面目にやるべきだと考える人と、意識低くていいじゃんと思う人では分かり合えませんよね。
人情や思いを大事にすべきだと考える人と、ルールに忠実で論理的な人の組み合わせも同様です。
あわせて読みたい
世界中にいくらでも人はいる
世界中にいくらでも人がいる(70億人&今後も増加していく)のに
わざわざ周りの人間(数人~数十人)にこだわる理由なんてありませんよね。
人間関係なんて切れればまたいくらでも新しくできるものですから、気軽に切っていいんじゃないでしょうか。
あなたが思うより世の中にはもっとレベルの高い人がいくらでもいるのですから
今いる環境の人間関係に執着する理由なんてありますか?
あわせて読みたい
人間関係は労力の割に簡単に崩れるもの
人間関係は築くまで数ヶ月や数年もかかり、お互いを分かり合うまでの労力が非常にかかるのですが
その割に簡単に崩れます。残念ながら。
職場や部活でもよくありますが、ちょっとした悪口や悪い噂はすぐ回って信用を失ってしまいますよね。
ひどい場合だと事実と違うことを噂に流されて誤解されたりしてしまう。
伝言ゲームをするとあんなに言葉が変わるのですから、噂話が歪曲されるのも納得ですよね。
異性と付き合ったり結婚するまでは距離を縮めるのにあんなに労力をかけていたのに
別れたり離婚するのはあっさりだったりします。
人間関係はどんなに頑張って築き上げても、いとも簡単に崩壊してしまうという脆さを持っているのです。
そんなすぐ壊れるものに労力をかけるぐらいなら自分の人生や将来に労力をかけた方がよっぽど一生ものになりませんか?
100歳になって死ぬ寸前に「他人の顔色を伺わず、もっと自分のやりたいように生きれば良かった」と後悔したら遅いですよ。
友達なんて100歳になっても老人ホームや地域のコミュニティで作れます。
なので人間関係なんかよりも今しかできないことに目を向けるべきではないでしょうか。
まとめ
- 目的第一、人間関係は手段
- 人間関係への執着が究極に無駄である理由
人間関係への執着が究極に無駄である理由は以下の通りです。
- 人とは話しても分かり合えない
- 世界中にいくらでも人はいる
- 人間関係は労力の割に簡単に崩れるもの
以上、「人間関係を深く築く必要はないんじゃね?」って内容でした。
人間関係に重きをおいてしまうとそれは執着となり、自分の人生における目的を見失ってしまいます。
執着があるからこそ、人間関係を気にしすぎて病んでしまうのです。
もう一度言いますが
目的第一、人間関係は手段です。
そもそも何のために人間関係を築くのですか?
自分の人生を良くしたり、楽しいと感じたり、成長の励みにするために人間関係は築くものですよね。
なのにその人間関係で人生の目的を犠牲にしたら本末転倒ではないでしょうか。
よって、人間関係を深く築く必要はないと結論づけさせていただきます。
目的達成に必要であればそれなりに仲良く円滑なコミュニケーションを取っておけば良いだけです。
人間関係はもっと気軽で刹那(せつな)的で良いと思いますよ。
コメントを残す