不公平や不平等という概念そのものをなくすべき理由【公正世界仮説】

この記事は以下に当てはまる人にオススメです。

  • 真面目な善人は報われるべきである
  • 不公平や不平等は許せない
  • 不公平な世の中を変えていきたい
  • 理不尽な扱いに敏感である
  • 職場で不公平を目にしてしまう
  • 何事にもフェアであるべきだ
  • 世の中は不公平に感じる
  • 自分ばかり不幸な目に遭っている
  • 「ただしイケメンに限る」が気に食わない
  • 可愛い子ばかりチヤホヤされて悔しい
  • 金持ちの家柄に育った人が羨ましい

本記事の内容

  • 身近にある不公平さ
  • 公平で平等な世界がある方が不思議
  • 不公平という概念をなくすと余計に消耗しない
  • 理不尽ルールをうまく生きるだけ

今回は不公平や不平等という概念そのものをなくすべき理由について話します。

生きていると誰もが理不尽な目に遭い、「世の中って不公平だな」と感じる場面も多いはず。

特にアルバイトを始めたり会社に入るとそれを顕著に感じてしまいますよね。

 

僕も若いながらうんざりするほど実感してきました。

個人的に理不尽をやられると絶対に許せない性格なのですが、本当に消耗します。

明らかにおかしいことに対して強く言い返したらなぜか逆ギレされるし

論破しても絶対に謝らない奴ばかりだし。

世の中どうなってるんでしょうかね。

 

読者の方々も思うことはいろいろとあるかもしれませんが

世の中に対して訴えたところで何も変わりません。

ではどうすれば良いのか。

 

結論から言うと、

 

不公平や不平等という概念そのものをなくして

合理的に生きましょう

 

ということです。

 

不公平や不平等という概念に支配されると生きてて消耗するので

諦めてそういった概念をなくすのが得策です。

 

以下で具体的に解説します。

 

※「不公平」と「不平等」は厳密に言うと意味が異なりますがここを論じると

本記事の趣旨がズレてしまうのであえて同列に扱っています

 

身近にある不公平さ

身近に不公平や不平等(以下、「不公平」で統一)とは具体的に何があるのでしょうか。

年頃の子が抱きがちな俗っぽいものから挙げると

  • 優しい親に恵まれている人が羨ましい
  • うちは全然旅行に連れて行ってもらえない
  • 金持ちの家ばかり良い思いをしている
  • イケメンはリア充でズルい
  • 可愛いだけで周りからチヤホヤされるのが許せない
  • 自分ばかりイジメられる
  • ブサイクなせいで恋愛できない

社会人になって感じるものなら

  • コネで入社できている人がいる
  • 正社員と同じ給料なのに派遣の扱いがひどい
  • 自分ばかり雑務を押し付けられる
  • 上司が人の好き嫌いで評価している
  • 職場で理不尽に怒鳴られる
  • 下請けへの扱いがひどい
  • 頑張っているのに自分は給料が上がらない

といったものがあります。

 

割とあるあるですね。

学校だと人間の根源的な部分が見えていて、

会社だとお金が関わっているので汚い部分が目立ってきます。

 

これらの不公平さは普遍的なものだと言えるでしょう。

どの環境に移ろうとも完全に逃れることは難しいです。

 

身近以外にも業界そのものが不公平さの塊であることだってあります。

よくネット上で闇が暴露される業界は

  • 政界
  • 芸能界
  • スポーツ業界
  • メディア業界
  • 金融業界
  • 教育業界

といったところでしょうか。

セクハラ・パワハラ・ヤラセ・不正取引・癒着など挙げるとキリがないですね。

身近どころでなく世の中全体が不公平だらけであることが分かります。

 

公平で平等な世界がある方が不思議

そもそもですが、公平で平等な世界自体が幻想でしかありません。

なぜなら資本主義社会と生物の本能があるから。

 

資本主義社会は自由に商売の競争をさせる社会なので

稼ぐ人はたくさん稼ぎ、稼げない人は落ちぶれていきます。

稼ぐ人は豊富な資金で新たな事業を起こしたり運用したり勉強に使えますし

子供の教育にも力を入れることができます。

一方で稼げない人はその日暮らしに必死で行動が制限され、

子供に良い教育をさせることもできず肉体労働が受け継がれていきます。

 

このように資本主義によって金持ちと貧乏人でますます二極化することは

すでに経済学者のピケティさんが証明済みです。

生まれた子供からしたら自分は悪くないのに貧乏に生まれて不公平だと感じるのは当たり前。

 

さらに生物の本能として集団の中では必ず争いや力関係による序列が発生します。

人間に限らず生き物は基本的に弱者が強者に従うようにできているので

弱者が強者に対して不公平だと主張するのは生物の原則から反しているのです。

この力関係がお金という形でより顕著になった要因が資本主義と言えます。

 

しかも不公平性を是正しようという考えや個人の権利という概念が広まったのは

人類の膨大な歴史の中でここ数百年の話です。

フランス革命は1789年の出来事ですし、

キング牧師の黒人解放運動なんて1960年代なのでまだ100年も経ってません。

 

そう考えたら不公平なのが当たり前であり、むしろ公平なのが異物です。

人類の脳はこの数百年で公平にカスタマイズされるほど早く進化できないので

不公平な生物的本能に抗うことは不可能と言えます。

 

よく身近でもなぜか偉そうな人間がいますが(特に頭の悪い人)、

それも自分が偉いという権威性を示して優越感に浸りたいという動物的欲求があるので

言葉遣いや態度に表れるんですよね。

 

世の中には対等なコミュニケーションさえ取れない(高圧的・偉そう・傲慢)人間だらけなので

人間の集合体である社会や国や世界が公正な方が奇跡です。

対等に会話できる理性的な人間は圧倒的に少ないので数の暴力でやられます。

 

もう世の中は公正であるという幻想(公正世界仮説)から目を覚ましませんか?

善人が報われるという道徳的な教育や宗教の教えは理想論であり、

現実にはあまりにも無理があります。

※「公正世界仮説」については以下の記事で話しています

あわせて読みたい

真面目な人は損するのか問題【真面目なふりが得するのは事実】

 

不公平という概念をなくすと余計に消耗しない

不公平なのが当たり前だと思えばわざわざ不公平に対して感情的になることはありません。

不公平をデフォルトにすれば不公平という概念がない状態になります。

例えて言うなら

日本では学校で教室の掃除を自分達でするのが当たり前なので(海外だと掃除業者がいる)

わざわざ教室の掃除に対していちいち不平不満を言いません。

教室の掃除をするのがデフォルトなので「教室の掃除」を取り立てて考えない状態です。

 

これに対して「自分たちが教室の掃除をするのはおかしい」と訴えたところで

無駄に自分が消耗するだけで何も変わらないんですよね。

不公平な社会で不公平を訴えるのはそういうことになります。

 

また別の例を挙げますが、

インドでは未だにカースト制度(階級社会)が根強く残っています。

というのもインドは人口が多いのもあって身分によって職業を決めた方が

後世も各職業に人手のバラつきがなく安定して社会が回るからです。

 

ただ、身分の低い人は身分の高い人に対して

「あいつあんな良い思いをしやがって」と嫉妬するわけではなく

輪廻転生の考えを持っていて死後により高い身分に転生するために

現世で日頃から祈ってたりヒンドゥー教の教えに忠実に生きているのです。

要するに、身分の低い人は「これはおかしい」と訴えずに

そういうのが当たり前だと受け入れた上で自分なりにうまく生きているのですね。

 

カースト制度の是非は置いといて、このように不公平なのが普通という考えを持てば

取り立てて不公平なことに対して感情的な消耗をすることはなくなってきます。

 

理不尽ルールをうまく生きるだけ

不公平を受け入れろというのもなかなか酷な話に思えますが、

だからといっていつまでも自分が不幸でいるべきだとは言いません。

大事なのは不公平な社会でどのようにうまく生きるかです。

 

不公平なのが当たり前である以上、それらを改善しようとしたところでキリがありませんし

改善することに膨大な労力が必要であり自分の力じゃどうにもならないことだってあります。

なので不公平に対して異議を唱えるのではなく

その理不尽なルールの中でいかに勝ち上がるかということになります。

 

ゲームだってルールが決められた上で勝者と敗者に分かれますよね。

ルールに対して文句を言うのではなくルールに乗っ取って勝者になればいいのです。

世の中に対して不公平だと訴えるのはゲームのルールにプレイヤーが文句を言うのと同じですから。

そんな不毛なことで消耗するのをやめましょう。

 

ちなみにルールに従って勝ち上がるのが嫌ならそのルールから離れるのも一つの手です。

先ほどのインドの例を挙げると

身分が低すぎて現世での運命に耐えられない人はイスラム教に改宗することがあります。

改宗してもインド社会がカーストで成り立っているのでやはり苦しみはしますが

宗教上のカーストからは離れられます。

 

僕の場合なら会社で頭の悪い人に付き従う生き方を絶対にしたくないタイプなので

正社員は全く向いてなくてフリーランスにこだわります。

これも会社という理不尽ルールから離れる選択になります。

 

ブサイクでいじめられるというルールに耐えられなければ

整形やダイエットをして生物的魅力を上げて勝ち組になるか

海外移住するという手があります。

日本ではブサイクな部類でも欧米ではモテることは珍しくありません。

大事なのはルールに異議を唱えるのではなくいかにうまくルールに乗っかるか

そのルールから離れて別のルールで勝負するかです。

ルールそのものにどんな文句を言ってもどうせ変わりませんから。

 

まとめ

  • 身近にある不公平さ
  • 公平で平等な世界がある方が不思議
  • 不公平という概念をなくすと余計に消耗しない
  • 理不尽ルールをうまく生きるだけ

今回は不公平や不平等という概念そのものをなくすべき理由について話しました。

不公平は当たり前で公平な世界というものは幻想に過ぎません。

その不公平をいちいち意識するのではなく受け入れ(不公平という概念そのものをなくし)、

理不尽ルールの中でいかに勝ち上がるか、あるいは違うルールで勝負するかが大事です。

不公平さや理不尽ルールに対してあれこれ訴えても何も変わりませんからね。

 

ちなみに僕はいじめられっ子だったので全力で弱者から強者にはい上がる努力をしてきました。

今でもその姿勢は変わっていません。

理不尽ルールの中で強く賢く勝ち上がるためにも

参考になりそうな記事をこちらに貼り付けておきます。

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