この記事は以下に当てはまる人にオススメです。
- 自由な生活を求めてビジネス活動に尽力している
- 自由さえあれば幸せだと思っている
- 「自由になりたい」が口癖
- 学校や職場の不自由に耐えられない
- 不自由は敵だ!
- 自由な生活にうっすらと苦しみを覚えている
- 自由であるがゆえに悩みが増えた経験をしている
こういった人たちの悩みを解決していきます。
本記事の内容
- 自由と不自由について
- 自由によって悩みが増える
- 自由な生活は人をネガティブにさせる
- 人間はある程度の不自由が必要
あけましておめでとうございます^^
昨年の9月に始めたばかりのブログですが、今年はより発展させていきますので
改めましてよろしくお願い致しますm(_ _)m
さて、新年最初の投稿で「自由は苦しい」をテーマにしているのには理由があります。
年末年始で休みをもらって家でダラダラしている人(いわゆる寝正月)も多いことでしょう。
期間限定ではありますが自由な生活はできているわけですね。
寝正月した人の中には
「このままずっと自由が続けばいいな」
と思う人もいれば
「このままじゃ廃人になるからダメだ!」
「生活リズムがおかしくなってきたからなんとか早起き頑張らないといけないのに起きれない・・・」
「この生活に慣れたら人生終わるなきっと・・・」
と早い段階でヤバいと気づく人も出てくるわけです。
何しろ僕も生活リズムが大幅にズレてお昼に起きることが多くなりました。
通っているプログラミングスクールがお休みなのでその分ダラダラしがちなのです。
おまけに最近発売されたスマブラもやりだすと止まらなくなるのが悩みのタネです笑
twitterを開くとどうやらブロガーの間でもスマブラが人気で、
YouTubeを開くとスマブラ関連の動画が日々アップされていてもうやりたくてツライです( ´△`)
さて、僕含めてこの時期に多くの人が苦しんできたであろう「自由」に今回はスポットライトを当てていきます。
4分ほどで読み終えるのでぜひ最後までお付き合いくださいませ。
自由と不自由について
「自由」と「不自由」はよく使われる言葉ですがどこか抽象的です。
哲学といった学問の世界でも良く使われる概念です。
Wikipedia先生曰く
自由(じゆう)とは、他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていることをいう。哲学用語。
引用元:Wikipedia
簡単に言えば
「自分で幅広い選択ができる(制限を受けない)」
ということです。
これを本記事における自由の定義とさせ、具体的に身近な出来事に例えていきます。
例えば学校なら分かりやすいですね。
制服指定の学校・・・不自由
私服OKの学校・・・自由
ケータイ持ち込み禁止の学校・・・不自由
ケータイ持ち込みOKの学校・・・自由
サッカーなら
ルールに忠実なサッカー・・・不自由
ルールがないサッカー・・・自由
食堂やレストラン(飲食店)なら
メニューの種類が少ない食堂・・・不自由
メニューの種類が豊富すぎる食堂・・・自由
といった感じです。
会社員の方々なら社内での不自由を思い浮かべればいくらでも出てくるでしょう。
このように「自由」「不自由」のような抽象的な概念も
身近なものに置き換えるだけで分かりやすくなりますね^^
自由によって悩みが増える
先ほど挙げた例を見ると「ルールのないサッカー」を除いては全て魅力的な自由に思えるかもしれません。
中高生が私服でケータイも自由に持ち込める学校だったらどれだけ魅力的なことか・・・
でもちょっと考えてみてください!
大学を経験した人なら分かると思いますが
「私服選びめんどくせええぇ」
って思ったことありませんか?
ダサいと恥ずかしい思いをするから、おしゃれを勉強して服を選ばないといけないのがダルい・・・
僕もそう感じてました。
制服なら毎朝何も考えずに着られるからラクなのです。
しかも制服って便利です。
学校だけでなく公の場でも冠婚葬祭でも着ていけるのでTPOを考えなくていいので本当に便利です!
大人になると私服、スーツ、ビジネスカジュアル、喪服、タキシード、着物などとにかく服装にお金がかかります。
もっと言えば中高生は特に体つきや身長が変わる時期なので
少し前に着ていた服のサイズが合わなくなることもあり、お小遣いも限られていることから毎回おしゃれな私服にお金をかけていられません。
そう考えたら制服指定の学校はかなり合理的と言えるでしょう。
私服OKの自由な学校だと余計な悩みが増えるのです。
これが自由によって苦しめられるパターンの分かりやすい例です。
次にケータイ持ち込みの可否についてですが
ケータイを持っているとSNSやメールの通知が来るたびに気になってしまうので
ケータイ持ち込みOKの学校では授業に集中しないといけない場面でケータイに邪魔されてしまいます。
マナーモードか電源オフにすればいいかもしれませんが、高校生と大学生はともかく小中学生の年齢できちんとそういった処置ができるかといったらなかなか難しいのです。
なのでケータイ持ち込みNGの学校は不自由ですが合理的と言えるのです。
それから、先ほど挙げたサッカーの例ですが
ルールのないサッカーは自由とはいえ、楽しいと言えますか?
- キーパー以外もボールを自由に手で触ってOK
- 相手選手に悪質タックルしてもOK
- ボールを2個にしても3個にしてもOK
- キーパー10人でもOK
さて、こんなんでサッカーは成り立ちますか?
今日のようにワールドカップで世界的な競技になっていますか?
まずあり得ないでしょう。
不自由な制限の中でいかにうまく立ち回るのかに人間は面白さを感じるのです。
最後に飲食店でメニューの種類が多いか少ないかですが
メニューが多すぎると優柔不断な人は特に悩みます(僕もそうです笑)。
そこで選んだメニューに後悔しないように
コスパの良さや人気メニュー、期間限定、店のオススメといった信用情報で背中を後押ししてもらった上で選ぶのです。
そう考えたら頭を使うコストが余分にかかるのです笑
だったら最初からメニュー数が少なくて「うちの店はこれが売り!」という感じの方がお客さんは気楽に選べるのです。
「ラーメン二郎」や「一蘭」が人気なのもこういった理由があるのではないかと思います。
ちなみにコロンビア大学の研究では「選択肢が少ない方がお客さんは買う」と実験で証明しています。
アイエンガー教授らは、アメリカのスーパーマーケットにジャムの試食ブースをつくり、24種類のジャムと6種類のジャムを数時間ごとに入れ替えて提供し、買い物客の反応を調べるという実験を行いました。その結果、24種類のジャムを並べたときには、買い物客の3%しか購入しませんでしたが、6種類のジャムを並べたときには、買い物客の30%近くが購入しました。
引用元:https://style.nikkei.com/article/DGXMZO14036390U7A310C1000000?channel=DF141120161353
ちなみに僕が中国語の勉強をしているときに読んだ文章にも、このコロンビア大学の研究について書いてあったのですが
選択肢が多いと迷うのがめんどくさくなって買うのをやめたり
買ったとしても後で「これよりもあの味を選んだ方が良かったかも」と後悔するので
購入率が低いとのことです。
サッカールールはともかく学校と飲食店の例については
「自由」は悩みを増やす原因であると言えます。
自由な生活は人をネガティブにさせる
これは既に大学生の頃や年末年始に経験済みの人も多いと思います。
文系の大学生は特に暇な時間を持て余すので
ダラダラと過ぎ去っていく時間に虚無感を覚える人も多いはず。
バイトを入れたりサークルや学生団体に所属したり。
何かしら自主的に動かないと何もない日が続くのですが、1週間ずっと予定のない日があっただけで飽きませんでしたか?
このままじゃいけないなと思いつつも何をすればいいか分からない状態です。
受験勉強を頑張っていた人はあんなに輝いていたのに大学生になってから燃え尽きて廃人になる人も多いです。
いや〜、これ全部僕でした笑
自由すぎると目的を見失い、フラフラと生きることで自分自身も見失い、
そんな日常に罪悪感を覚えて満足しないのです。
そう考えたら受験を頑張っていた自分は苦しかったけど輝いていました。
社会人になってからも年末年始にダラダラして生活リズムを崩す人は多いはず(冒頭に書いたのでここは割愛します)。
人は完全な自由だと不安を感じてしまうので
何かに依存したり頼ったりと、不自由を求めるのです。
少々哲学チックですが本当にその通りで、
これは人間が宗教に幸せを見出そうとする理由の根本です。
現代では自然現象や病気のほとんどが科学的に説明がつき、
科学の発達によって欧米でも無神論者が増えてきました。
しかし一方では信じる対象がいなくなったことで何のために&どうやって生きていけばいいのか分からず
生きることに苦痛や虚無感しか覚えない人も現代には出てきています。
神様という存在から解放されて自由になったことで逆に苦痛になるパターンが現代にあるのです。
宗教と幸せについては過去記事でも取り上げていますので興味のある方はどうぞ(宗教勧誘ではありません笑)。
ある程度の不自由は必要
人間が生き生きと輝くためにはある程度の不自由が必要になります。
前述の通り、自由すぎる生活を手に入れると
生活リズムが崩れ
ダラダラと過ごすのが当たり前になり
罪悪感を感じてネガティブになってしまいます。
そうすると生きてて満足感も感じません。
体型もだらしなくなってきます。
いわゆる「ダメ人間」「廃人」と言われるやつです。
自由な生活はすぐに飽きるものです。
僕はまだお金持ちどころか弱小レベルの人間ですが
成功しているブロガーやユーチューバーの話を聞くと
自分でルーティーンを作るのに努力しています。
例えばブログ界で有名な、やまもとりゅうけんさんは
週3はフリーランスエンジニアとしてお仕事をされていますが
それで得られている収入は全体のほんの1割しかないそうです。
完全に無駄に思える仕事かもしれませんがあえてそういう働き方をしている理由は
自分が廃人化しないためだそうです。
成功されている人でさえ自由の前では精神力が持たないわけですから
凡人である僕らが強い精神力をそう簡単に持てるはずがありません。
なので完全な自由よりもあえて多少の不自由があった方が人間は生き生きとし、幸せになれるのです。
よく
「会社員は不自由で苦痛、フリーランスは自由でラク」
というイメージがありますが
一概にそうとは言えません。
会社員だったら
- 毎月の給料が保証されている
- 福利厚生がある
- 会社の事務用品が使える
- 会社の信用力(名刺)を使って仕事ができる
- 会社の人脈が使える
- 仕事は取りに行かなくても降ってくる
- 社会的信用とステータスがある
- 金融機関の審査が通りやすい
- 源泉徴収を会社がやってくれるので納税の手間が省ける
一方でフリーランスはこれら全てを自分でやっていかないといけませんし
社会的信用がないので仕事をもらう上でも苦労し
お金を借りたりクレジットカードを作るのにも苦労します。
フリーランスと一口に言っても1年目の人もいれば10年以上のベテランもいるので
その中で実績を出し、対等に渡り合っていかないといけません。
そう考えると自由であるがゆえに苦労することはたくさんあるのです。
会社員は不自由がゆえに気楽なのです(仕事がどれぐらい大変かは論点がズレます)。
フリーランスは自由がゆえに大変なので不自由を自分で課す工夫をしているのです。
まとめ
- 自由と不自由について
- 自由によって悩みが増える
- 自由な生活は人をネガティブにさせる
- ある程度の不自由は必要
新年一発目の記事はいかがでしたでしょうか。
「不自由」を完全な敵と見なすよりも
ある程度の「不自由」は必要なものだと受け入れてしまった方が
日々の苦痛も少しは和らいでくると思います。
我々が思っている以上に不自由は恩恵をもたらしてくれているのです。
これは僕個人の話になりますが、
僕の場合は自由を求めつつ適度な不自由を受け入れた生き方をするために
生涯現役で受験生のような精神状態を維持していこうと思っています。
なので「洗練された最高品質の自分でいること」が僕の自分に対する誓いです。
今日はこの辺で^^
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