この記事は以下の悩みを持つ人にオススメです。
- 学校の先生に老害が多いと感じている
- 学校の先生に理不尽な目に遭ったことがある
- 学校の先生が嫌い
- 学校の先生の教育指導に疑問を感じている
- 学校の先生を信頼できない
- 学校の先生は老害が多いと思っている
- 教育業界ってひどいなと感じている
こういった人たちの悩みを解決していきます。
本記事の内容
- 学校の先生にありがちな悪い特徴
- 学校の先生がおかしいと思った理由と経験談
- ん?これって老害誕生の仕組みと似てない?
日本で生まれ育った人であれば誰でも学校に通っていた経験があります。
義務教育で小中学校はもちろんですが
人によってはその先の高校や大学・専門学校または高専など様々な進路で学校に通っていた人がいます。
今回はその中でもとりわけ小中高の教師について取り上げていきます。
僕自身もこれまでにいろんな学校の先生にお世話になってきましたが
今思えばおかしな先生が多くいたように感じました。
というのも、僕自身が特定の教師に対して個人的な恨みがあるというよりも(もちろんある人もいますが笑)
学校の先生という職業にありがちな業界特有の悪い性格がそういった先生から見え隠れしているのです。
一人の教師を見て判断したのではなく複数の教師を見て感じた共通点があったからこそ彼らの背景を考察できるようになったのです。
子供の頃は無知なゆえ、それに気づくことが難しかったか
気づいてもうまく言語化できなかったり
真面目な子であれば自分の反抗的な気持ちは間違っていると抑えながら言いなりになっていたのかもしれません。
今となって僕が人間関係や心理学を知った上で情報発信する立場になったからこそ
今回は言語化してお伝えしていこうと思います。
感情と論理は分けて話したいので愚痴を書く記事にはしません(なってたらごめんなさい^^;笑)。
みなさんも記事を読んでいく中でいくつか過去の出来事を思い出して共感することがあるかもしれません。
そうすることによって子供の頃に表現できなかった感情の正体が分かって晴れやかな気持ちになっていただければ僕も嬉しいです。
4分ほどで読み終えるのでぜひ最後までお付き合いくださいませ。
目次
学校の先生にありがちな悪い特徴
学校の先生に対して特に思ったのが
- 根拠も無く思い込みで人を悪者にする
- 正論を振りかざして表面的な対症療法しかしない
- 正義感が自己満で独善的
の3点です。
みなさんも学生時代に心当たりはないでしょうか?
その理由について、僕の経験談を交えた上で解説していきます。
学校の先生がおかしいと思った理由と経験談
小中学校の先生
クラスで何かトラブルがあれば自分に関係なくても
「お前が何かやったのか」
「あなたがやったんでしょ?」
と根拠も無く人を悪者にしてくる先生っていませんでしたか?
これは僕自身の経験だけでなくクラスメートがそう言われているのも見てきましたし
僕の妹もそういう濡れ衣を着せられた経験があります。
学校の先生がこうすると
「悪いことがあれば全部お前が原因」と子供に無意識に植え付けることになり
子供のセルフイメージが低下してしまうので教育的にどうかと思うんですね汗
繊細な子であれば「私って人に信頼もされていないトラブルメーカーでしかない人間なんだ。劣ってるんだ。」
と劣等感や無力感を抱えることもあります。
また、将来非行に走る子供の中には「俺はどうせそういう人間だからこうしていいんだ」と開き直る子も出てきたりします。
心理学的に言えばセルフイメージが形成されていくのです。
自己否定的なセルフイメージができると自信を失うだけでなく自分を信じられないので誰かに依存してしまう癖ができ、勉強も遊びも友達付き合いも消極的になります
(人によってはそこから勉強だけが取り柄となって将来は高学歴コミュ障になる可能性もあります)。
セルフイメージについて語ると本記事の主旨から逸脱するので話を戻しますが
何か思い当たる動機や証拠がなくても悪者にさせる方が恐らく先生にとってはラクなのでしょう。
教師は宿題チェックや保護者との面談や電話、試験問題の作成と採点、学校行事の準備、クラブ活動や部活の業務など
激務なので細かいことにいちいち構ってられない気持ちも分かりますが・・・
小学校だと中には犯人探しや誰かへの説教のためにクラス全員を休み時間も拘束したり放課後も残す先生がいますが
ここは軍隊か何かですか?
自衛隊であれば自分のミスで誰かの命に危険があるから連帯責任が大事ですし、隊員は全員志願してそこにいるわけです。
一方で小学校や中学校は義務教育でたまたまその地域にいた人を寄せ集めしただけの組織に過ぎないのです。
そんな組織の中で連帯責任にさせるのも教育として理解に苦しみます。
拡大解釈すれば日本人で誰かが国際的に犯罪を起こしたとして、
そうすると日本という地域にいる日本人はみんな罰を受けないといけない
という民族攻撃を肯定することになってしまいます
(例えばユダヤ人によって過去にイエスキリストが処刑されたから、その責任を負って今のユダヤ人は迫害されるべきだという考えと同じです)。
もっと言うとクラスのみんなの前で誰かに怒鳴るのも
会社だったらパワハラになるケースがあります。
学校の先生が社会をなかなか知れないのは仕方ないですが、教育者としてパワハラまがいなことをするのはいかがなものかと。
高校の先生
高校では受験勉強のために内職(授業中に一人で参考書で自習すること)を僕はしていたのですが
かなり学校の先生達に目をつけられていました。
内職をしていたのも受験生にとって貴重な時間のほとんどを学校で過ごすのですから
全く身にならない授業や受験で使わない科目の授業は無駄に感じたのです(特に僕の学校は”自称”進学校レベルでした)。
授業中にゲームや漫画を持ち出していて怒られるなら分かりますが、
将来がかかっていて勉学に励みたい人を優先的に問題視し
不真面目なクラスメートには注意しないのもかなり疑問でした。
「学校は勉強する人の味方じゃないの?」
「なんで自分にばかり言ってくるの?」
「優先順位違くない?」
と違和感を覚えるわけです。
学校の言うことを忠実に全てやってこの進学実績で
しかもその進学実績を元にカリキュラムを作ったり教育方法を考えているのなら
そもそも僕は目指している次元が違うので(偉そうに聞こえてすみません)
自分の将来のためを考えたら学校の理想に従う義務はないはずなのです。
僕が受験に成功すれば進学実績は上がって学校の手柄としてメリットになるのですから結果的にはwin-winになりますよね。
しかも内職したり居眠りされるのも先生がその程度の面白くなくて役立たない授業をしているのが原因であって
それを内職や居眠りする生徒が悪いと一方的に押し付けてくるのが傲慢なのです。
(古文の朗読や感想発表、日本語訳書き写しなんて面白くなくて何の能力が身につくのですか?)
例えて言うなら
お笑い芸人がダラダラと全く面白くない漫才をして、
あなたが笑わなかったり全く話を聞いていなかったらあなたが悪いですか?
このように本質的な部分や原因に目を向けず
ただ正論を振りかざして責任転嫁し、表面的な対症療法しかしないのです。
ここで言う対症療法とは
例えば病気になるたびに病院に行くのを繰り返すのみで
根本的な原因を取り除くための体質改善(運動・睡眠・食生活)を全くしないので
ただモグラ叩き的に終わらないことを繰り返す意味です。
表面的におさまるだけで結局は再発するので何の解決にもなりません。
まあ学校の先生が授業を面白くしようと改善したところで給料が上がるわけではないので
営利目的の企業みたいにPDCAする気なんか起きないですよね。
もっと言えば公務員である以上、営利活動をしていないので相手目線で行動する習慣や概念がないのでしょう。
仕方ないとは思いますけども。
小中高の先生全体を通して言えること
全体を通して言えることは
自己満の正義感が強すぎる人が多い(独善的)
です。
相手を見たり本質を考えるよりも
自分の中の絶対的な正義を一様に振りかざしてしまうパターンが多いです。
相手にするのは自分よりも(未発達で)頭の良くない子供ですから子供の言うことよりも
大人であり教育者である自分が正しいと思ってしまいがちです。
ここで体罰を例に挙げます。
僕は経験がないのですが一昔前は体罰が横行していました。
現代は体罰に対してシビアになっているのでだいぶ無くなってはいますが
じゃあなんで体罰を問題視する風潮が強いのかというと自己満で正義感を押し付ける頭の悪い先生が多いからです。
頭の悪い先生は短絡的なので
ダメな子=全員悪
として手を出します。
でもダメな子にはもしかしたら体調的な理由や精神的な問題を抱えている可能性もあるわけですし
中には真面目だけどうまくいかない子もいます。
根っからの態度が悪くて手に負えないレベルの子には手を出しても良いですが
真面目な子ややる気のある子にも手を出す頭の悪い先生が存在するから被害者が出て体罰が問題視されるのです
(僕は体罰はケースバイケースであって一概に体罰そのものを否定するべきではないと思っています。体罰が必要な子供もいます)。
じゃあ体罰を与えるべき生徒の基準はというとそれは個々の教師の主観や価値観に委ねられてしまうので
だったら体罰そのものを禁止した方が無難で良いよねということです。
それなのに「体罰を受けない子供はダメで体罰できない先生はかわいそうだ」という人は
それこそ独善的で物事を一面的にしか見ない頭の悪い人だと思います。
体罰に限らず集団の中で自己満で独善的になってしまう例があります。
営業の世界でも営業マンにとって情報弱者のお客さん相手には主導権を握った話し方ができたり
国家の統治においても指導者や独裁者は自分よりも目下の人(頭が悪くて従順な人)を好んで扱います。
ガキ大将も自分より弱い立場の人をかき集めて自分の強さを誇示します。
自分よりも弱い立場の人がいればその人よりも上に自分が立ち、集団の中で偉い立場になるというのは人間が生き物である以上当たり前の構造なのです。
そうなると独裁状態で自分が全てで正しいと勘違いしてしまうのです。
特に学校の生徒達は卒業するときには先生に対して寄せ書きや手紙などのメッセージを送ることが多いので
先生からすると
「俺のやってきたことが正しかったんだな」
「俺が巣立たせたんだ」
と自己満に陥りがちです(僕の知る限りこういう先生が中年以降にはすごく多いです。)。
心理学的に見ると承認欲求がものすごく満たされることとなるでしょう。
だからなのか学校教師は歳を取るにつれて妙にプライドが高くなります。
仮に自分のやってきたことが間違いだと思えばこれまでの自分を否定することになってしまうので
指導の仕方を変えることもせず、反発を受けたら反発してくる方が悪いと捉えます。
すると短絡的に
「言う通りにしない生徒にはとにかく怒鳴ればいいんだ。それが教育なんだ。」
と独善的な教育哲学を持つおっさん先生が誕生するのです。
ここまで来ると、「教育」って何だろうと疑問になりますよね。
ん?これって老害誕生の仕組みと似てない?
これって老害ができるメカニズムと似ていませんか?
歳を取ると誰かに叱られることもなくなるので歯止めが効かなくなり
年齢や人生経験で人よりも絶対的に上に立つことができて
自分が間違いだと認めるとこれまでの自分を否定することになるので若者のせいにする。
もっと言えば学校の先生は公務員なので年功序列で年上の地位が顕著に大きいです」。
ここは僕の個人的な感想になってしまいますが
若い年齢の先生は真面目で柔軟性があって良い印象を持ちますが
歳を取った先生は老害みたいな人が非常に多く感じるのです。
なんでそう感じるのか考えてみたら上記のような原因があるのではないかと僕は考察しています。
まとめ
- 学校の先生にありがちな悪い特徴
- 学校の先生がおかしいと思った理由と経験談
- ん?これって老害誕生の仕組みと似てない?
学校の先生にありがちな悪い特徴については以下の通りです。
- 根拠も無く思い込みで人を悪者にする
- 正論を振りかざして表面的な対症療法しかしない
- 正義感が自己満で独善的
いかがでしたでしょうか。
学校の先生を観察することで世の中の仕組みが少し見えましたよね。
自分の感情に対する「なぜ」と
その人がそうなっている「なぜ」
を突き詰めると真理が見えてきます。
僕はそうやって自分にあった出来事を普段から思考しています。
スティーブ・ジョブズの言葉を使ってカッコつけると
あとで振り返ると点と点が繋がって見えてくるものがあるのです。
最後までお読みいただきありがとうございました^^
> 若い年齢の先生は真面目で柔軟性があって良い印象を持ちますが
歳を取った先生は老害みたいな人が非常に多く感じるのです。
確かに!僕の先生でも中年以降の先生はとっつきにくくていつもムスッとしている印象を受けますが、裏ではそうなっていたんですね!
あと、誕生日おめでとうございます!