諦める勇気を持っている人は強い【諦めが必要な判断基準とは】

Pocket

この記事は以下に当てはまる人にオススメです。

  • 諦めないことが大事だと思っている
  • 根性さえあればなんでもうまくいくと思っている
  • 諦めることは負けだと思っている
  • 世の中のことはなんでも自分の思い通りに変えられると思っている
  • 挫折しそうで精神的に追い詰められている
  • 人生で何か大きなことを成し遂げたい
  • 諦めていいとは言っても自分に甘くなるのが怖い
  • 諦めていい時と悪い時の違いを知りたい

こういった人の悩みを解決していきます。

本記事の内容

  • 諦めてはいけないという考えは洗脳
  • 諦めない生き方は生き地獄
  • 諦めが必要なときもある
  • もちろんなんでも諦めていいのではない
  • 諦めていい時と悪い時の判断基準
  • 諦めることで自分らしく輝きやすくなる
  • 諦めることで余計な執着を手放せる

「諦める」と言うと、悪いイメージがありませんか?

特に真面目な人や努力家は「諦める」ことがなかなかできません。

僕もそういった気質があるので非常に生きづらかったです。

「諦める勇気」を持っていない人は自分で自分を追い詰めて生きづらくしているのです。

もちろん、何もかも諦めて俗世から離れようとか仙人になろうとか廃人になろうとは言いません。

 

しかし諦めないことで目標を達成できた経験もあれば

諦めることで自分らしく心地良く生きられるようになった経験も

どちらとも僕にはありました。

 

ただ、やっぱり「諦める」ことは大事だなんて言われても志が高い人にとっては抵抗がありますよね。

痛いほど分かりますよ><

僕も典型的なそういう人でしたから。

営業会社にいた時だってずっとゴリゴリの根性論を教えられてきましたし。。。

ビジネスや副業で稼ごうという話になると、「成功するまで諦めなければ失敗は存在しない!」なんてよく言われますよね。

 

ただ、「諦める」ことを知ると、自分のやりたいことや得意なことに集中できるようになったり

余計な悩みを抱えなくて済むのでむしろ成長が早くなります。

そして、物事をまた違った一面から見ることもできるようになります。

 

今回は「諦める勇気」の必要性について解説していきます。具体的で分かりやすくするために僕の経験談が多めです。

5分ほどで読み終えるのでぜひ最後までお付き合いくださいませ。

 

諦めてはいけないという考えは洗脳

そもそもなぜ「諦めてはいけない」という考えがこんなに当たり前になっているのでしょうか?

結論から言うと、その方が社会にとって都合がいいからです。

 

「諦めていいんだよ」と教えると会社からどんどん人が辞めていく恐れがありますし、

勉強も諦めてしまう人が増えれば受験対策の塾や資格スクールも商売になりません。

世の中を成り立たせるためには「諦めてはいけない」と教えるしかないのです。

 

特に子供の頃は親や学校から

「諦めなければなんでもできるよ」

「将来には無限の可能性があるよ」

「どんな夢があるの?」

と聞かされ続けますが、大人になって現実を知るとだんだん気づいてきます。

 

「なんだ、所詮無理なものは無理じゃねーか」

「世の中は思い通りに回っていない」

「結局、世の中は金だ」

と。そこでピーターパンの世界から目が覚めるのです。

「諦める」ということを知って夢を捨て、童話の世界で揶揄される「大人」になるのです。

 

しかし、この気づきは半分正しくて半分間違えです。

「諦める」という概念を知っただけで、諦め方をよく知らないのです。

諦めていいことと諦めてはいけないことの区別がうまくつけられていないのです。

この区別の話については長くなるので後で話すことにします。

 

諦めない生き方は生き地獄

諦めない生き方はとにかく生きづらいです。本当に生き地獄。

始めたからには絶対にうまくいくまでやめない精神なので、何か新しいことを始めるたびに苦痛を覚えます。

完璧主義者と同じ思考です。よほどドMな人でない限り新しいことを始めたがりません。

なぜなら新しいことを始めるとまた苦行が始まるから。

 

何かを始めるたびにうまくいくまでやめないって人生ハードモードすぎません?

気軽にいろんなことに手を出してみて、自分に向いたものだけを突き詰めていった方がいいと思いませんか?

 

諦めが必要なときもある

人間なんて人それぞれ得意不得意がありますし遺伝や育ちの要素にも左右されますから

同じことをやってもうまくできる人とできない人がいて当たり前です。

 

外交的な人と内向的な人の違いは遺伝で決まっているという話もありますし

(ストレスに対する反応が大きいのが内向的な人で、さほどストレスに反応しないのが外交的な人です)、

運動神経が良い人と悪い人、足が速い人とそうでない人、コミュ力が高い人とそうでない人だっているのですから

背の高さがバラバラなのと同じように人それぞれなのです。

 

ということは仕事や生き方にも向き不向きがあって当たり前なのです。

 

ここで僕の例を出します。

僕は内向的で細かいことを気にする気質ですが、それが嫌で外交的になろうとキャラを作ったり、

面白い話し方を身につけるための本を爆買いしたり、いろんなコミュニティやイベントに関わったりと

血の滲む努力をしました。結果的に人間関係がうまくいかず、自分を押し殺し続けていたので鬱病になりました。

 

今では営業経験もあるので初対面の相手とも(偏屈な人でない限り)コミュニケーションが得意にはなりました。

根は内向的でも人前で外交的な自分を演じられるようになったのです。

友達も作ろうと思えば作れます。

しかし後になって「疲れた〜〜〜」とくたびれてしまうので外交的なモードの自分は必要最低限の時だけにとどめています。

 

やっぱり内向的な気質だとどうしても人との関わりにストレスを感じやすいのです。

「あの言い方はあまりよくなかったかな」

「変な勘違いをさせたんじゃないかな」

「あの人のあの態度って何様?信じられないんだけど(イライラ)」

とか、優しい相手なら優しい相手で気遣いするのも疲れるのです(LINEのやりとりもうっとおしい)。

 

こんな自分が営業を続けてもストレスで胃に穴が開くのは時間の問題です。

当時営業マンとしては社内トップの売り上げを出していたのですが、精神的にも能力的にも限界を感じていて続けたいと思いませんでした。

内向的だと相手に親身になって共感したりという営業が得意ですが、それだけでは営業能力に限界があります。

扱う商材によってはハッタリや勢いが必要だったり、外交的で根っからの人好きじゃないともっと上の世界にはいけないと悟りました。

なので僕は営業マンを辞めることにしたのです。なぜなら自分には向いていないことを痛感したから。

これが諦めです。

 

ここで「いや、まだまだぁ!」とひたすら歯を食いしばり続けたら泥沼にハマっていたかもしれません。

そして頭の中で論理的に分析して考えることを得意とする僕が行き着いた先が

ブログやSNSでの情報発信、マーケティング、エンジニアだったのです。

 

もちろんなんでも諦めていいのではない

諦めることは大事ですが、むやみやたらになんでも諦めていいわけではありません。

あれもやりたくない、これもやりたくない、それも嫌だ・・・

なんて全てダラけてしまうと本当に廃人になってしまいますから。

 

転売で稼ぎたいと思ってもリサーチが面倒で三日坊主になっていてはいつまでも成長しませんし、

広告ビジネス(アフィリエイトなど)で稼ぎたいと思っても10記事書いただけで怠けていたら稼げません。

どんなに好きな仕事でも必ずやりたくないことは存在します。

それを知った上である程度は割り切りが必要です。

 

では、諦めていい時と悪い時はどう線引きすればいいのでしょうか?

 

諦めていい時と悪い時の判断基準

諦めていい時と悪い時の判断基準ですが

諦めるべき理由を論理的に話せるかどうかです。

 

単に面倒だから、ダルいからという理由であれば諦めない方が良かったりします。

特に将来性のある分野や、市場を見ると努力する価値のある分野においては続けることが大きな力になります。

 

しかし、もし自分に向いていない理由を論理的に話せるのであれば諦めることを考えるのも必要だったりします。

先ほど話した、僕が営業マンを続けることを諦めたのが一例です。

また、市場を見ると明らかに将来性を感じないことが分かった場合も諦める検討をする価値はあるでしょう。

 

例えば

ネットワークビジネスをやっている人は「成功するまで諦めなければ失敗はない!」という教育を受けた人が多いので、なかなか辞めませんし頑固だったりします。

僕が会った人では5年近くそのビジネスをやっていて一向にメンバーが増えず、毎月15万円以上の買い込みをしていて

借金も300万円という人がいましたが、それでもずっと続けています。しかもケロっとした表情で深刻さを理解していないようです。

さて、この人は諦めずにそのビジネスを続けることで成功すると思いますか?

おそらく無理です。

 

ネットワークビジネス自体が市場を見ると下火です。

大手のアムウェイもニュースキンも売り上げは全盛期の半分以下ですし、競合会社もかなり増えましたから。

他にもインターネットの普及や景気の悪さなど、挙げればキリがないのでこの辺にします笑

 

また、就職するなら低迷しているテレビ業界や出版業界よりも

将来性のあるIT業界に就職して頑張った方が同じ努力を注いでも遥かに給料が上がりやすいです。

なぜなら市場に入ってくるお金の規模が違うから。市場に入るお金が少ないと、小さなパイの奪い合いになります。

 

諦めずに続ける努力よりも、市場を見た上で戦略的に動いた方がよっぽど合理的です。

自分に合わないものや市場と逆行しているものは潔く諦めるのが吉です。

 

諦めることで自分らしく輝きやすくなる

諦めることで自分らしく輝きやすくなります。自分の人生を生きられるようになります。

営業以外にも僕は諦めたことはたくさんあります。

 

学生の頃は友達をたくさん作ろうと頑張っていたけど自分の考え方や価値観が周りと合わなさすぎたので

無理に友達を作ろうとすることも、人から理解してもらうことも諦めました。

人に理解してもらうことを諦めるだけで生きやすくなりますよ^^

 

あとは体育会系や根性論が嫌いなので、そういうのを語る人や環境と共存することも諦めました。

なぜなら僕にとって有害にしか感じられなかったからです。

 

また、文系の世界で頑張ることも諦めました。

なぜなら専門スキルがなく誰もができる仕事がほとんど(事務職、営業職)なのでレッドオーシャンなのと

その世界で努力すること自体もレッドオーシャンだからです。

安定と言われている銀行も今は収益化に苦労している時代ですし、英語関係の仕事も士業もレッドオーシャンです。

しかも割と理不尽な根性論の職場が多いので、

手に職がつく&論理的に考える人が職場に集まる「理系の世界」で平和に生きることを選びました

特にエンジニアだと将来性もありますし)。

 

それから、みんな恋愛や結婚をしようと必死になる風潮があるのですが

僕はそんなに恋愛感情が湧かず、たとえ好きになったとしても

結婚することにデメリットしか感じられない(リンク先の後半に理由を書いています)ので

その辺りも無理に他人と理解し合おうとすることを諦めました。

無理に理解し合ったところでお互いにメリットもありませんから。

幸いなことに僕の考えはドイツ人の結婚観と似ているようなので彼らとは話が合いそうです。

 

このようにいろんなものを諦めたおかげで随分と生きやすくなり、自分らしさをより深く知ることができました。

 

諦めることで余計な執着を手放せる

もう一つ付け加えていうとしたら、諦めることで余計な執着を手放せるようになりました。

僕の経験談で恐縮ですが、

 

例えば承認欲求という執着です。

誰かに承認されることを諦めると、承認欲求を手放せます。

世の中には生まれも育ちも違う様々な人がいるのですから全員に理解されることなんて不可能だと割り切れば承認欲求を諦めることができます。

イエスキリストでさえも弟子のユダに裏切られるわけですから。我々凡人が全員に好かれるなんて不可能です。

 

あとは「あいつを言い負かしたい!論破したい!」という欲求にも執着しなくなりました。

これまでにいろんな理不尽な人に対して論破しようと躍起になっていましたが、結果的に得られたものは何もありませんでした。

論破して賠償金や残業代を得られるなら別の話ですが、得られないのに無理して戦ったところで

論点をズラして感情論や上下関係でマウントを取ってくるパターンを人間は繰り返します。

言い負かしたことで素直に謝る人に出会ったことはまずありません。

疲れる上に自分の時間も無駄に浪費するので頭の悪い人は放っておこう、距離を置こうと考えるようになりました。

他人は変わらないのですから、変わらないものに対して執着するだけ無駄なのです。

自分にコントロールできることとできないことを明確に線引きして断捨離した方がラクです。

 

こういった一つ一つの執着を諦めるようになれば、さすがにお釈迦様ほどにはなれませんが

執着に心を支配されにくくなります。

そういう意味でも「諦める勇気」は必要です。

 

まとめ

  • 諦めてはいけないという考えは洗脳
  • 諦めない生き方は生き地獄
  • 諦めが必要なときもある
  • もちろんなんでも諦めていいのではない
  • 諦めていい時と悪い時の判断基準
  • 諦めることで自分らしく輝きやすくなる
  • 諦めることで余計な執着を手放せる

いかがでしたか?

諦める勇気を持つと本当に生きやすくなります。

自分に正直に生きることで結果的にメタ認知(俯瞰すること)もできるようになります。

諦めることを悪と考える人は、本記事をきっかけに少しでも変わるきっかけができればと思います^^

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です