【コミュ障の学生必見】友達作りに悩まない方法【ラクになろう】

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悩める人
新しい学校生活がこれから始まるけどちゃんと友達ができるか不安。もともと前の学校でコミュ障だったからなおさらどうなるか分からないし、これからアルバイトもサークルも始めるし本当にやっていけるのかな。ぼっち飯が怖い。

 

今回はこういった悩みを解決していきます。

 

僕自身はプロフィールでも話した通り、

不健全な家庭環境で精神的に追い詰められ、

社会生活を送るのに苦しむ「アダルトチルドレン」でした。

 

何かあったら常に自分を責め、人間関係を過剰に気にしすぎて

高校でうつ病になり、大学でもトラウマをずっと引きずっていた自分ですが

 

10年以上も人間関係や生き方について試行錯誤しつつ

現在は楽に生きられるようになった答えを出します。

 

本記事の内容

・友達が多いほど良い人間というのは世の中の洗脳

 

・友達は作るものではなくできるもの

 

以下に解説していきます。

友達が多いほど良い人間というのは世の中の洗脳

子供の頃からのおかしな教育

「いちねんせいになった〜ら♪

いっちねんせいになった〜〜ら♪

と〜もだ〜ちひゃ〜くにんできるかな♪」

 

日本で育った人なら誰でも一度は聞いたことのある歌です。

物心つく前からこういった歌を幼稚園や学校で聴かされたり歌ったり

 

幼稚園や学校の先生も

「仲良くしなさい」

「友達作ろうね」

 

と普段から当たり前のように言っています。

 

幼少期からずっとこういう言葉をシャワーのように浴びせられたら

「友達は作らなければいけない」

と思い込むのも仕方のない話です。

 

しかしよく考えてください

友達ができる子は良い子で

友達ができない子や少ない子は果たして悪い子なのでしょうか?

 

後者を例にすると

暴力的な悪い子

がパッと出てくると思いますが

 

周りの子よりも頭が良くて馴染めない子

(自伝にありますがホリエモンの子供時代はそうでした。論理を話しても先生と周りの子が感情論でしか返さないとか、自分は明らかに悪くないのに謝罪を先生に強いられたり)

友達といるよりも勉強や習い事・ゲームの方が楽しいと思う子

 

もいます。

友達を作らない(作れない)子にもいろいろといるわけで

 

友達がいない=ダメな子=社会不適合者

 

という烙印を押すのもおかしな話なのです。

友達がいなくても習い事のピアノが好きな子は将来は名ピアニストになるかもしれないし

ゲームが好きな子は将来はゲーマーやプログラマーとして活躍する可能性もあります

友達の数は結局のところはその人の一面的な部分でしかないわけです。

人それぞれ気質が違います。

一面的にしか物事を見なければそれは偏った見方になってしまいます。

 

少し僕の経験談になりますが

 

僕はここの部分に気付くのが遅くて

「友達が作れない自分は人間としての価値も魅力もなくて

将来は誰からも相手にされなくてどこに言っても人から軽蔑されたり嫌われる存在

 

と常に卑屈に思ってたので

人間関係の形成にかなり悩みました。

さらにはいじめを受けた経験もあったので

 

「自分の人からの見られ方は惨めなもので

いじめられたり無視されて当然。相手してもらえるだけで感謝しないと

とまで思っていました。

ここまでネガティブオーラ満載なら確かに誰も近寄らないですよね、、、^^;

 

そこから自分のキャラを変えるために尽力しましたが全て空回り。

 

スポーツ系の人と仲良くなるために(中高生の時は吹奏楽部でした)

無理やりそういう人たちのノリで彼らと絡みましたが

話も合わないし気質も違うしそもそもいきなり馴れ馴れしかったので

嫌がられました

 

この経験談で気づかれる人もいると思いますが、

友達がいる・いないで自分の価値を判断していたからこそ

逆に友達ができなかったのです。

 

この「友達多い人がまともな人」信仰(というか洗脳)

から目覚めることで

逆に友達ができてくるのです。

洗脳に気づいている人達

この洗脳に対して

やはり人生経験のある人達は気付いています。

 

みなさんが知っているであろう大物

タモリさんもその一人です。

タモリの友達論が深すぎると話題に 救われるネット民が続出

〜略〜 タモリが友情について語る一幕が。「友達も少ない、友達なんかいらないって」と発言。中居正広から友達は必要でしょ? との反論にも「俺、あの歌が大嫌いなんだよ、小学校に入ったら『ともだち100人できるかな』って。そんなことで人生決めんじゃないよ」と断固として反対していた。さらに「どんどんどんどん減らしていってるし、切ってく」と、友達を厳選しているという。

 

ツイッターでもいろんな人が気づいているのが分かります。

 

ここでいう質とは

友達のスペック(学歴や能力)というよりも

 

一緒にいて自分が心地よくなったり

自分にとって励みになったり成長させてくれる

そんな深い関係のことです。

友達は作るものではなくできるもの

無理して友達を作ろうとすると疲れるしうまくいかない

前述の通り僕はスポーツ系の人と友達になるために

自分のキャラを繕って彼らと接しましたが

むしろ嫌われました。

 

彼らのようにサッカーの知識も野球の知識もありませんし

そもそも運動神経も悪くてスポーツ経験もあまりありませんでした。

共通点がない以上、話を合わせるのが非常に難しいのです。

 

そうすると自分はそれらについてある程度分かったフリをして

彼らと接しようとします。

このねじれがあるからこそ

なおさらお互いを分かりあうこともできず噛み合わないのです。

それでも無理やりくっ付いてこられたら鬱陶しいですよね。

 

相手には嫌がられ

自分は疲れるだけでなく結果的に嫌われてしまうのでネガティブになります。

ネガティブになるとますます人が離れていきます。

 

友達を作ろうと頑張るとこういった負のループがあり

生産性もないのに労力をつぎ込んで消耗してしまいます。

そもそも友達ってなんだろう

そもそも友達というものの定義が曖昧です。

 

自分はあの人のことを友達と思っているのに

あの人は自分を友達と思っていない

 

こういったことが普通にありえます。

 

例えば自分がAさんと仲良くて

ある日にAさんの友達のBさん(自分にとっては初対面)

も交えて3人でご飯を食べたとします。

 

自分はBさんとはご飯の時に顔も合わせましたし

それなりに話はしました。

 

この場合、自分とBさんは友達関係と言えるでしょうか?

自分はBさんを友達と思っても

Bさんは自分のことを顔見知り程度に捉えているかもしれません。

 

そう、

「友達」という定義や基準はかなり曖昧なのです。

 

そこで僕なりの「友達」の解釈を挙げることにします。

 

たまたま同じ組織や集団に属していて(クラス・部活・職場など)

意識せずとも自然に話してて仲良くなり、

なぜか今も付き合い(たまに遊んだり飲んだり)や

やりとり(SNSのメッセージや電話)

が続いている人

 

こういった人が友達なのではと思っています。

 

何が言いたいのかというと

 

無理して仲良くなり

無理して関係を続けている

 

のではなく

 

なんだか自然と仲良くなり

なんだか今も続いている

 

という自然体な形が友達だということです。

 

友達作りは消耗するものではなく

自分が幸せになったり、人生を良い方向に行かせてくれるためのものです。

 

まとめ

無理せず自然体の自分でいるのが一番いいです!

 

力を抜いて自分らしく生きれば、それに共鳴して人はついてきます。

大学デビューしたいのであれば自分の内面を否定せず、おしゃれすればそれで十分変われます。

 

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