この記事は以下に当てはまる人にオススメです。
- 性善説と性悪説は結局どっちなんだろう
- 性善説を信じている
- 性悪説を信じている
- 人間関係に悩んでいる
- どうすれば生きやすい世の中になるのかと考えることがある
こういった人の悩みを解決していきます。
本記事の内容
- 世の中は性悪説に基づいてできている
- 実際のところ人間は性善説よりも性悪説的な動きをしている
- 性悪説で考えた方が生きやすい&みんなが幸せ
- 性善説の世の中にする現実的な方法(BIの導入)
人間関係や組織のマネジメントにおいて
性善説と性悪説どっちで考えた方がいいかという問題がたびたび話題に上がります。
一応、性善説と性悪説は何かについて話すと
性善説・・・人間の本性は「善」であり、成長していくと「悪」が身についてしまう
性悪説・・・人間の本性は「悪」であり、成長によって「善」を身につけていく
つまり
先天的に善で後天的に悪になるのが「性善説」
先天的に悪で後天的に善になるのが「性悪説」
となります。
結論から言うと僕は断然、性悪説派です。
僕の性格上、キレイ事が嫌いな皮肉屋だから性悪説だと思われるかもしれませんが
それ以前に現実的に考えて性善説だといろいろと無理があるんですよね。
もっと言うと性善説ではみんなが生きづらくなってしまう。
今回は僕がそう考える理由について話していきます。
読み終える頃にはあなたも今より生きやすくなっているでしょう。
4分ほどで読了できるのでぜひ最後までお付き合いくださいませ。
目次
世の中は性悪説に基づいてできている
まず大前提として世の中は性悪説に基づいてできています。
分かりやすい例が法律と宗教です。
- 人を殺してはいけない
- 略奪してはいけない
- 暴力を振ってはいけない
これらの約束事は法律で定められています。
法律がなければ「あいつムカつく」と思えばすぐに殺すことができます(恐ろしいですね^^;)。
宗教もこの点で法律と似た部分があります。
加えて言えば、宗教は一人一人の欲求や考えのバラツキをなるべく抑えた上でひとつの教えに集中させるために
禁忌(タブー)が存在します。
イスラム教なんかが分かりやすいですね。
- 豚は食べるな(不浄の動物だから)
- 酒は飲むな(信仰心を忘れないため)
- 同性愛禁止(場合によっては死刑)
- 婚外セックス禁止(鞭打ちや死刑)
ちなみにヒンドゥー教では牛は神聖な動物なので食べてはいけないことになっています(不浄だからではなく)。
これらの禁止事項で世界が成り立っていることを見ると、どう考えても世の中は性悪説で成り立っていると考えられます。
実際のところ人間は性善説よりも性悪説的な動きをしている
世の中は性悪説で成り立っていると話しましたが、人間はどうでしょうか?
実際のところ人間の動きを見ても性悪説で成り立っていると考えた方が説明がつきます。
人間は生き物である以上、生命の存続や子孫繁栄のために「欲求」というものが備わっています。
この欲求のままに生きると人間は略奪やレイプが横行します。
つまりは欲求のために誰かを犠牲にすることが多いのです(全ての欲求が他人を犠牲にするわけではありませんが)。
お腹が空いて死にそうだからあの人から食べ物を奪おうとか
性欲が発散できないからあの人を襲おうとか
お金がなくて生活が苦しいから強盗しようとか
このように悪事の原因には欲求が関連しているのです。
根元の欲求 = 悪
なら
欲求が人間に備わっている=悪が人間に備わっている
という式が成り立ちます。
そしてその悪事を起こさないために倫理観や道徳を学んで善を身につけたり
法律や宗教で縛り付けるのです。
もし性善説で人間の本性が善であるとしたら、どんなに自分の生活が追い込まれていても
他者貢献だけして静かに死ぬのが普通のはずです。
しかし現実的に統計を調べても、貧困と犯罪率は相関しています。
貧困層ほど犯罪に手を染めやすいのが証明されているのです(いろんな資料があるので詳しくはググってみてください)。
つまり人間が生き物である以上、欲求に従って生きるようにできているので
自分の生命よりも他者貢献を優先することは生物の本能を根本的に否定することになります。
誰かに親切にしたり、貢献する欲求は自分の生命維持や安全が保証されてから初めて出てくるものです。
マズローの5段階欲求でもそれは証明されていますよね。
引用元 : https://jibun-compass.com/maslow
他者貢献するという善の欲求(所属と愛の欲求以降)は生理的欲求と安全の欲求ができていないとまず不可能です。
善の欲求はこのように後天的に出てくるので先天的に備わっていると考える性善説は無理があります。
性悪説で考えた方が生きやすい&みんなが幸せ
とは言っても自己啓発や道徳教育においては
「相手を信じよう」
「性善説で生きよう」
と教えられます。
どうしてこんなに事実や論理と逆行するキレイ事を押し付けるんだろうと個人的に思ってしまいます。
皮肉なことに性善説を信じれば信じるほど誰も幸せになりません。
性悪説で考えた方がずっと生きやすくなりますし、みんなが幸せになります。
人間の根本が悪で、努力によって善を身につけると考えれば
スキャンダル、浮気、裏切りする人がいても「あの人は人間だな〜」と不完全さを受け入れることができるのです。
人間を始めから美化せず期待もしないので勝手に絶望しなくてすみます笑
だから芸能人のスキャンダルがあったり、好きな人の欠点がどこか見えても
「やっぱり人間だものね」と思えるようになります。
これが性善説で考えるようになると
「この人はいい人だから善だ!」と勝手に期待してしまうので
何かその人の問題や欠点が見えると
「この人がそんなはずはない!」と強情になって正常な判断ができなかったり
「この人がそんなことするなんて・・・」と絶望しがちです。
勝手に妄想で美化されて、勝手に絶望されるなんて絶望される側もたまったもんじゃないですよね。
だってその人も人間である以上、欲求はあるわけですから。
そうすると始めから相手に期待しなくなってみんなが生きやすい世の中になります。
もう一つ言うと、性善説だと相手を神格化して完璧を求めてしまいがちです。
相手が根本的に善であることを前提に、悪いことをするはずがないと思ってしまいます。
そして、これができて当たり前でしょ思考になります。職場でこれではシンドいですね。
完璧な人間なんていないのですから。
性悪説であれば、相手には自制心や余裕があるからできているわけで(努力によって善のキャパを広げている)
その自制心と余裕が追い詰められて限界を迎えると相手は仕事を遂行できなくなり、
場合によっては投げ出したり自分の欲求を優先したり、奇行に走ります。
そういった人間的な部分を考慮した上で、相手の善のキャパに合わせて仕事を振ったり頼みごとをした方が
お互いにストレスフリーになります。
人それぞれ成長の度合いがあって、身につけた善のキャパが違うんだと考えれば
過度に善を求めたり押し付けることはなくなるでしょう。
それが性悪説的な考え方です。
性善説の世の中にする現実的な方法(BIの導入)
性悪説を中心に話してきましたが、性善説がかわいそうなのでここで出番を作ります笑
世の中も人間も性悪説で成り立っていることはこれまでに話した通りですが
どうしても性善説の世界にしたいなら現実的にどうすれば良いのでしょうか?
結論から言うと、ベーシックインカムの導入が必要です。
ベーシックインカム(basic income)とは、最低限所得保障の一種で、政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を定期的に支給するという政策
引用元 : Wikipedia
ベーシックインカム(BI)とは簡単に言うと、生活に最低限必要なお金を国民全員に定期的に配るという
夢のような政策です笑
この考えには多くの著名人が賛同していて
- ホリエモンこと堀江貴文さん
- 2ちゃんねる創設者のひろゆきさん
- 元大阪府知事の橋下徹さん
- FacebookのCEOザッカーバーグさん
などがBIを提唱しています。
BIについて語ると本記事の主旨から大きく逸脱するため、簡潔にしか言いませんが
例えば
政府が毎月あなたに7~8万円を支給してくれたら生活がすごくラクになりませんか?
もっとお金が欲しい人だけ仕事をすればいいのです。そうすれば嫌々仕事をする人が減って職場も快適で働きやすくなりますし
働きたくない人は好きなことをすればいいのです。働きたくない人を無理にコンビニのアルバイトをさせたところで社会は進歩しません(コンビニも店舗が増えすぎて利益の削り合いになってるだけですし)。
特に作家、芸人、クリエイター、フリーランス、副業をやってる人といった自営業者は生活費のために仕方なくアルバイトの日々を送っている人が多くいるので
BIによってアルバイトをしなくて良くなれば自分の仕事に集中もできるのです。
では現実的に考えてBIのための財源はどうすればいいのでしょうか。
それについても様々な著名人が税制改革や予算の無駄遣い防止について具体的な案を出していて
理論上、十分に可能とのことです
(とはいえBIが実現しないのは公務員の削減を国会議員が容認したくないからというのが理由の一つにあります。議員にとっては自分のクビを切られる恐れがあるのですから)。
話を戻すと、なぜBIが社会を性善説にするかというと
人間が自分の生活のために誰かを貶める必要がなくなるからです。
資本主義は残酷なことに弱肉強食の要素が強く、お金が全ての世界です。
稼げない人はどんどんのたれ死んでいく世界で
このままだとますます貧富の差が激しくなるとフランスの経済学者ピケティさんも言っています。
すると貧乏な人は自分が生きるために誰かを騙してまでお金を取ることを考えます。
お金持ちの人は自分の立場や地位を守るためにどこかと癒着したり既得権益にしがみついたりします。
こうすると生きるためには騙し合ったり、疑心暗鬼になったり、自分を守るのに必死になるのです。
そこでBIが導入されて最低限の生活が保障されれば、生活のために人を騙す必要性がなくなり
先ほど挙げたマズローの五段階欲求でいう「生理的欲求」と「安全の欲求」を国民全員が保障されます。
すると「所属と愛の欲求」以降の他者貢献(善)をする余裕ができるので
結果的に性善説の世界が実現します。
しかしBIのない資本主義の世の中では、現実的に性悪説で考えた方が妥当でしょう。
性善説の世界は今の時代にはまだ早い考え方と言えます。
まとめ
- 世の中は性悪説に基づいてできている
- 実際のところ人間は性善説よりも性悪説的な動きをしている
- 性悪説で考えた方が生きやすい&みんなが幸せ
- 性善説の世の中にする現実的な方法(BIの導入)
いかがでしたでしょうか。
おさらいすると、性悪説で考えた方が生きやすい世の中になりますよということです。
性善説の世の中にしたいならBIが必要です。
BIについては話したいことがたくさんあったのですが記事の主旨の都合上、今回は控えめにしました。
BIについて興味を持たれた方はぜひ調べてみてください^^
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