この記事は以下に当てはまる人にオススメです。
- 殺伐とした世の中に疲れている
- 平和な人間関係を築くヒントが欲しい
- 平和な職場環境を作るヒントが欲しい
- 穏やかな人とそうでない人の違いを知りたい
- どうすれば無駄な争いがなくなるのか知りたい
- どうすれば生きやすい世の中になるのかと考えることがある
- なぜこんなにも世の中は世知辛いのか知りたい
こういった人の悩みを解決していきます。
本記事の内容
- 争いばかりで生きにくいのには理由がある
- 平和で生きやすい世の中にするための3要素
社会人になってから特に思うこと。
世の中は本当に生きづらい。
どこの組織にいても争い、争い、争い・・・。
学生時代からイジメや殺伐としたアルバイト先も見たり経験してきたから薄々感じてはいたけれど
大人になってもくだらないことで衝突する人ばかり。
そりゃ政治でも外交でもモメるだろうし
弁護士や精神科医、カウンセラーといった職業が存在しているのにも理由があるわけだと
若いながらに世の中を悟ってしまうのです。
僕も余計な衝突やトラブルは本当に面倒で極力避けたい性格です。
自己中な人や好戦的な人と同じ環境にはいたくない。
だから当ブログを見て分かる通り、人間観察をして余計な地雷を踏まないように事前探知したり
相手に合わせてうまく対応して最小限に被害を抑えるわけです。
戦って勝つことで何か得られるもの(賠償金とか残業代とか)があれば戦いますが、何も得られないのであれば
戦っても泥沼にハマって虚しいだけです(散々そういった経験をしてきました)。
僕は元々は鬱に長い間(10年以上)苦しんでいた子供時代でしたが、それだけ悩んでいた分
誰よりも人間関係や世の中について分析を繰り返してきたので今があるのです。
そんな僕がどうすれば平和で生きやすい世の中になるかを話していきます。
結論から言うと、平和で生きやすくするには3つの要素がありまして
- 全員が論理的になること
- 自分の価値観を押し付けないこと
- ベーシックインカム(BI)の導入
です。詳しくは後ほど解説していきます^^
4~5分ほどで読み終えるのでぜひ最後までお付き合いくださいませ。
目次
争いばかりで生きにくいのには理由がある
前回の記事にも書いた通り、僕は性悪説的な考えを持っています。
なぜなら人間が生き物である以上、生物としての欲求があるわけですから。
弱肉強食という言葉があるように弱い生き物は食われて強い生き物が生き残る世界です。
すると生存競争のために人間は自分を強く見せたり、自分を守ったり、自分を優先するのです。
生命維持や子孫繁栄のためには他人(他の生き物)を犠牲にしないといけない場面もあります。
考えてみてください。
他人のために自分の命を犠牲にするなんて現実世界には普通はないわけですから(走れメロスを思い出しますね笑)。
つまり利己的なのは生き物としての本能なのです。
まずは生き物としての本能である生理的欲求や安全の欲求を満たしてから
やっと他者と共存し貢献していきたいという高次元の欲求が出てくるのです(マズローの五段階欲求の通り)。
そこで後天的に礼儀やマナー、思いやりといった「善」を身につけるのです。
なので僕は性悪説的な考えを持っているのです。
引用元 : https://jibun-compass.com/maslow
しかし世の中には生理的欲求や安全の欲求が満たせない環境で育ってきた人がいます。
そういった人は利己的な考えを持ちがちなので、いわゆる自己中な人が出てくるのです。
治安の悪い環境や知能レベルの低い親の元で育ってきた人、子供の頃に家庭に安心できる居場所がなかった人を「育ちが悪い」と呼ぶのはあながち間違いではないのです。
育ちが良い人はマズローの五段階欲求の次元が高く、その過程で「善」を身につけているのです。
組織には育ちの悪い人と良い人が混合しているのですから、両者で違いがあれば考え方の違いで衝突するのは言うまでもないでしょう。
なので人間同士の争いが絶えない理由をまとめると
- 人間には生物的本能があって利己的にならざるを得ない
- 育ちにより欲求の段階や「善」の身につけ具合が違うので考え方の違いでぶつかる
ではこれを前提に置いた上でどうすれば争いをなくすことができるかを考えていきましょう。
平和で生きやすい世の中にするための3要素
全員が論理的になること
今すぐみんな論理的になれと言われてなれるものではありませんが
後天的に身につけたり、組織内の教育である程度は変われます。
論理的な人は平和です。
感情論や正義感、慣習、偏見にとらわれることなく
理にかなっているのか、メリットはあるのか、効率的なのかを考えます。
よくテレビで討論番組がありますが、あれは議論で燃え上がっている姿を娯楽として楽しむためのものであり
実際にその議論の答えを知りたければ統計やデータを調べて「結果的にこういう結論になりました」で終わるのです。
しかしそういう論理的な人を討論番組に出すと番組が盛り上がらずに終わってしまうので
割と感情的なジャーナリストや政治家を呼んでいるのです。
つまり論理的な人は生産性のない無駄な争いをしません。
論理的な人同士はほとんど意見が揃います。なぜなら数字を参照した上で結論を出すのでそこに
個人の思いや正義感、偏見は介入されません。
結論を出す過程で何に重きを置くかによって意見に多少のバラツキがあるぐらいです。
例えば「若者は犯罪ばかりするのか」という議論があれば
論理的でない人は「若者は本当にあれでこうで・・・」と自分の感想を言ったり
「テレビのニュースでもよく若者が問題になっている」などと一部分をさも全体のように話す人がいます。
しかし論理的な人は「若者の犯罪率は昔よりも減ってますよ。」と言ってこちらのグラフを出して終わりなのです。
引用元 : 少年犯罪データベース 少年による殺人統計
会社の組織の中でも論理的でない上司がいると、さも全てこちらの努力不足がいけないと押し付けてくる人がいますよね。
頭の悪い人が集まる職場(体育会系根性論)にありがちなパターンです。
また僕の経験上、論理的な人は自分の優越感のために論点をズラして上下関係でマウントを取りませんし
怒鳴ったり争ってもメリットがないことを分かっています。
その場で怒鳴って言うことを聞かせたところで相手が萎縮して行動しなくなったり職場環境が悪くなっては長期的に損をすることを分かっています。
何かトラブルがあってもその場しのぎの対応(いわゆる対症療法)ではなく、再発防止のために根本の原因を突き詰めていく考え方をしています。
だからなのか、理系の会社は文系の会社(営業会社)と違ってまともな職場環境である率が高いと僕は感じます。
文系は上司が偉ければ間違ったことを言ってても正しいとされる風潮があり、
理系は立場や地位に関係なく間違っていることは間違っているとはっきりしています
(プログラミングなんてベテランだろうが初心者だろうが正しいコードなら正しく動作し、間違っていたらエラーが起きます)。
要は何を言いたいかというと、論理的な人は平和なのです。
あなたが職場で上の立場であれば論理的思考を身につけさせる教育をした方が職場環境は良くなります。
あなたが職場で下の立場であり、老害上司を変えられないと分かったら、論理性を必要とする職場(Webマーケティングなどの統計関係、エンジニアなど)に転職することを考えるのも手です。
自分の価値観を押し付けないこと
争いの絶えない人や印象の悪い人は自分の価値観を押し付ける傾向にあります。
生まれも育ちも違えば価値観も違うのは当たり前ですが
社会に出ると世代の価値観を押し付ける人(いわゆる老害)がいたり
職場では上の人達の自己満的な理想を一方的に押し付ける人もいます。
自分の価値観を持つことは大事なことですが、それを人に押し付けると無駄な争いが生まれます。
生まれも育ちも違えば価値観は違ってて当たり前ですから。
教育に興味がある人がいれば教育に興味のない人もいます。
努力が好きな人もいれば努力が嫌いな人もいます。
それでよくないですか?
これまでの歴史でも価値観の押し付け合いで戦争が繰り返されています。
キリスト教もユダヤ教もイスラム教も
互いに自分の信じているものが絶対だからお前も信じろと押し付けるから戦争をしてきたのです
(一説には3宗教とも同じ神を指しており、解釈の仕方が違うだけだと言われています)。
地域によって解釈が違うのは当たり前で、
過酷な環境で育つ人は絶対的な力に対する畏怖があるので信仰心が強くなり、イスラム教のように
偶像崇拝を禁止して唯一神のみを信じることになるのです
(偶像崇拝禁止とは、神は一人だけなので自分達で作った絵や像を勝手に神にするなということです。人間が神を量産できたらマズイですよね笑)。
キリスト教も本来は偶像崇拝禁止ですが字が読めない人や言葉の通じない人が当時のヨーロッパに多かったために
布教のために絵や像で神という概念を教えないとうまくいかなかったのです。
イスラム教からしたら、そうやって偶像崇拝をしているキリスト教を良く思わないでしょうね。
それだけでなくイスラム教にもスンナ派とシーア派、キリスト教にもカトリックやプロテスタントなど宗派の違いで対立もしています。
このように各々の事情で解釈や価値観が変わるので、違いがあるのは仕方がない面があります。
それを「あれは異端だ」「邪道だ」「あってはならない」
と叩き合っても何も生産性も意味もありません。
そういう意味では、争い合わない仏教は個人的に好きなのですが
少し前にミャンマーでロヒンギャ弾圧(仏教徒がイスラム教徒を迫害)があったのでなんとも言えない感じです・・・
なのでどんな価値観を持とうと、好きにすればいいんじゃない?
というスタンスの方が無駄な争いがなくなって生きやすくなります。
僕が他人の趣味に口出ししないのもこのスタンスが元です。
twitter上でも個人の意見や考えに対して論破しようと必死になる人がいますが、
そんなつまらない争いをしたところで何になるんだろうと思ってしまいます。
「それは○○の部分で違うんじゃない?」
「こういう考え方もあるんじゃない?」
と言うのはいいんですが(そういった双方向のコミュニケーションができるのがtwitterですから)、
相手に敬意のない言葉遣いや、必死で食ってかかる人、
自分の優越感のためにマウントを取りたがる人がいるのも事実です。
要は自分の価値観を押し付けるか押し付けないかの違いです。
twitter上での喧嘩も他人に自分の価値観を押し付けるのが原因なのです。
世の中の争いのほとんどが独善的に相手に価値観を押し付けているのがきっかけです。
無意味な戦いをしたくないなら押し付けは止めましょう。人それぞれの価値観があっていいじゃないですか。
ちなみに似たような考え方で、アドラー心理学の「課題の分離」があります。
自分の課題と他者の課題を切り離し、お互いに相手の課題に介入しないことで対人関係の悩みがなくなっていくということです。
「課題の分離」は奥深いので多くは語りませんが、価値観を押し付けないことはこの考え方に非常に近いです。
ベーシックインカム(BI)の導入
ベーシックインカム(BI)の導入によって、
資本主義社会でも自分の生活のために誰かを貶めるようなことをしなくてすむようになるので
争いがなくなります。
このことについてはこちらの記事の後半で話していますので、読んでいただけると理解が深まると思います。
BIとは何か分からない人向けの説明もされています。
とはいえBIは日本(というか世界)で実現はまだだいぶ先になりそうです。
2017年の衆議院選挙では希望の党がBIを公約に入れていました。
我々にできることはBIを掲げる政党を支持することぐらいしかありませんが、少しずつBIが注目されるようになることを願いましょう。
ちなみにBIに対する各政党の賛否がこちらに載っているので参考にしてみてください。
まとめ
- 争いばかりで生きにくいのには理由がある
- 平和で生きやすい世の中にするための3要素
争いばかりで生きにくい理由は以下の2つです。
- 人間には生物的本能があって利己的にならざるを得ない
- 育ちにより欲求の段階や「善」の身につけ具合が違うので考え方の違いでぶつかる
平和で生きやすい世の中にするための3要素が以下の通りです。
- 全員が論理的になること
- 自分の価値観を押し付けないこと
- ベーシックインカム(BI)の導入
以上です。
あくまでも僕なりの考えなので賛否両論あって良いと思います。
反論はあったとしても議論したところで何も生産性はないので放置します笑
今の世の中は本当に殺伐として生きづらいので、もっと生きやすい世の中になってほしいと思う今日この頃です。
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