やられたらやり返すべきか問題【理想論と綺麗事はなし】

この記事は以下に当てはまる人にオススメです。

  • いじめやパワハラに遭ったことがある
  • 学校や職場で嫌な目に遭っている
  • 毒親に悩まされている
  • 絶対に許せない奴がいる
  • とにかく復讐したい相手がいる
  • 理不尽が大嫌い
  • ナメられたくない

本記事の内容

  • 「やり返す」系問題は人類の歴史的な悩み

  • 「やられたらやり返す」は実は合理的である
  • 嫌な奴と仲良くしてもいいことはない
  • 「やり返してはいけない」「許す」は理想論や綺麗事
  • もっと自分に誇りを持って生きよ

今回はやられたらやり返すべきか問題について話します。

少し前に「倍返しだ!」という言葉がドラマ『半沢直樹』がきっかけで流行りました。

銀行が舞台という一般的にはとっつきづらい経済ドラマでありながらも、

俳優陣の迫真の演技もあってか記録的な視聴率を打ち出したので製作者達も仰天したそうです。

 

もちろん堺雅人さん達が優秀というのもあるのですが「倍返しだ!」が流行るのを見る限り、

世間一般の人間が心の中に抑えつけている「やり返したい」「復讐したい」という精神を

痛烈なコメディで爽快に表現したというのが非常に大きいのではないでしょうか。

自分のやりたいこと・言いたいことを代弁してくれる存在に対しては

やはりどこか親近感が湧くものです。

 

それだけ昨今では「やり返したい」というドス黒い感情が蔓延していると言えます。

とはいえ現実世界では半沢直樹のように大々的な復讐ができるわけではありません。

上司を敵に回せば不合理な目に遭うのは自分ですから。

 

とはいえ一方的にやられ続けるのも考えもの。

僕もこれまでに民度の低い環境や人間に消耗してきたのですがこの問題に関しては

 

「やられたらやり返すか、

もう関わらないようにする」

 

のが得策と結論づけます。

 

感情論ではなくて純粋にその方が合理的で得策だからです。

では以下で解説していきます。

 

「やり返す」系問題は人類の歴史的な悩み

冒頭で話した「倍返し」よりもずっと世界的に有名な言葉があります。

それは「目には目を」です。

 

正式には「目には目を、歯には歯を」なので

英語では「An eye for an eye, and a tooth for a tooth.」と言います。

中国語では「以牙还牙,以眼还眼」と言い、

「牙(歯)をもって牙を返し、眼(目)をもって眼を返す」が直訳です。

 

このことわざは紀元前1700年代の古代バビロニアで発布された

『ハンムラビ法典』から引用されています。

「目を潰されたら相手の目を潰し返せ」という意味で

それが転じて「やられたらやり返せ」と言われるようになりました。

 

一見すると復讐すべきだという主張に聞こえますが最近の学説だと

「あくまで同等の仕返しまではOK、でも過剰な仕返しはするな」

という抑止の教えだったとのこと。

古代ですから奴隷の存在は当たり前で、奴隷身分ばかり重罰が与えられていたので

こうした法律を作って抑止していたそうです。

 

少々話はそれましたが、紀元前1700年で日本から見て地理的に遠い国でも

「やり返す」系問題が議論として取り上げられていたわけです。

 

最近でも

  • 「凶悪犯はどんどん死刑にすべきだ!」
  • 「死刑制度を廃止してはいけない!」

という議論があるのでやはり他人事ではありませんよね。

 

そう考えたらあなたが「やり返す」系問題に悩んでいたら、

それはあなた個人が悪いのではなく人類の歴史的な悩みに到達したと言えます。

まあ厳密には論点が「やり返す度合い」ではなく

そもそも「やられたらやり返すべきか」という違いはありますが。

 

「やられたらやり返す」は実は合理的である

前述では「やり返す」系問題が人類の歴史的な悩みであると話しました。

そこでは主に「やり返す度合い」にフォーカスした議論があったので

やり返す前提で話が進んでいるんですよね。

「やり返すかどうか」というそもそも論はそこにはない。

 

だったら「やり返さない」という生易しいこと言わずにやり返した方がいいのでは。

というかぶっちゃけ、小さなやり返しぐらいはした方が合理的です。

程度の違いはあれど「やり返す」ことを肯定する人は僕以外にもいます。


要するに、やり返さないと「弱者認定」されてナメられるんですよね。

特に民度の低い世界では「こいつは無害だ」と思われると都合よくイジメの対象にされる。

で、抵抗せずおとなしくしているとどんどんエスカレートしていくもの。

 

「そういう奴は反応を楽しんでいるので無視すればいい」という意見もありますが、

いじめっ子は反応を見る以外にも自分が強いんだと周りに見せつけたり

悪友と手を組んで何かをすることにも優越感や楽しさを見出すので

無視すれば自然に解決するほど単純ではないんですよね。

結局、「こいつをナメるとヤケドする」と動物的に分からせないと攻撃を止めないもの。

 

実際、メンタリストDaiGoさんは小中学校の時に8年間もいじめられていたそうですが、

ある日いじめっ子に母の悪口を言われて激昂し、

その子にめがけてナタを投げつけて以降はいじめがなくなったとのこと。

ナタはその子に命中しなかったのですが結果的に見せしめになったのです。

なのでDaiGoさんは

「今まで8年も我慢してたのは何だったんだろう。

誰かの助けを期待せず、自分の行動で自分の世界を変えていこう」

という教訓を得て現在のような活躍をされているとのこと。

 

いじめよりもっと規模の大きな話もしましょう。

現時点で世界的に影響力のある国は核保有国です。

愛や思いやりによる平和なんて幻想で、核兵器は「やり返し」の手段となり得るので抑止力です。

北朝鮮のような小国でもアメリカは不用意に手出しできず、

だからこそ北朝鮮とアメリカは対等に交渉できる。

 

丸腰な日本の外交とは大違いです。

米軍基地問題は話が進まず、自動車関税で常に脅され、

それでも友好アピールばかりしていたらそりゃナメられます。

 

中国がアメリカに対して強気でいられるのも核保有国だからと言えます。

いつ攻められてもやり返せるという距離感が「弱者認定」されない理由です。

 

そう考えたら個人から国家のレベルまで「やり返す」が得策であると思いませんか?

 

嫌な奴と仲良くしてもいいことはない

僕が「やられたらやり返せ」と言うと

「やり返すのではなく、こちらから歩み寄って仲良くすればいい」

という意見が出てきます。

 

これに関しては僕の経験上、

 

NOと言わせていただきます。

 

なぜなら嫌な奴と仲良くなったところで何もいいことがないし、

むしろ関わっていて精神的に消耗します。

 

というのも、わざわざ危害を加えてくる攻撃的な人間のレベルなんてたかが知れていますよね。

そんな民度の低い人と仲良くなってもメリットはありませんし学べることもありません。

また、余計な揉め事を起こさないために「事なかれ主義」になってしまうのが目に見えてます(僕も経験済み)。

 

分かりやすい例がまた歴史の話になります(「賢者は歴史に学ぶ」ので歴史から学びましょう)。

 

ナチスヒトラーが台頭した頃、

当時のヨーロッパは第一次世界大戦で焼け野原になったトラウマもあって

「とにかく戦争してはいけない」という風潮がありました。

 

そんな中でイギリスとフランスはヒトラーの暴走を穏便に解決しようと

「宥和(ゆうわ)政策」という、事なかれ主義な政策でヒトラーの要求に譲歩しました。

簡単に言うと土地を譲って戦争を回避したんですね。

それがきっかけとなり、ナチスドイツはますます軍備増強して第二次世界大戦へと突入したのです。

あのときにイギリスとフランスがヒトラーを潰しておけば第二次世界大戦は起こらなかったのでは、

と学者の間で言われているのです。

 

つまり、攻撃的な人と平和的に仲良くやろうと思うと

揉め事を起こさないために事なかれ主義に走ってしまうのです。

 

場合によっては仲良くなった後に都合よく利用されてしまう可能性もあります。

そう考えたら嫌な奴と穏便に仲良くしようという試みは愚策と言えます。

 

「やり返してはいけない」「許すべきだ」は理想論や綺麗事

次に出てくる反論として定番なのが

  • 「やり返してはいけない」
  • 「許すべきだ」

といった意見です。

 

これについても僕は真っ向から反対します。

「やり返してはいけない」に関しては

前述で「弱者認定」の話をしているのでそちらを読み直していただければなと。

 

ここでは「許すべきだ」をメインに取り上げます。

 

これは僕の持論になりますが

僕は人生で強い憎しみを抱いた相手を絶対に許さないと決めています。

これにはしっかりとした理由があって、

「許す=自分はひどく扱われてもいい存在だと自分で認める」

という式が成り立つから。

「許す」というのは自己犠牲的な理想論や綺麗事に過ぎません。

 

例えば、あなたの家族が交通事故に遭って亡くなったとします。

加害者は飲酒運転をしていました。反省している様子もありません。

 

あなたはそんな加害者を許せますか。

許すとあなたの大事な家族の命を軽視していることになりませんか?

それだけ許すと言う行為は被害者側の人権を無視しているのです。

 

もうひとつ例を挙げましょう。

 

学校や職場で長い間いじめに遭っている人はたいてい優しいので

「絶対に許さない」という気持ちで反撃することはありません。

すると次第に

「自分はそういう扱いを受けて当たり前の存在だから」

という無力感にさいなまれることになります。

これを「学習性無力感」と言います。自己肯定感の最底辺ですよね。

相手を許すことはこのように自己犠牲にもなってしまうのです。

 

僕の場合はすでに縁を切ったゴミみたいな実父と、

詐欺やパワハラをしてきた上司たち、

その他もろもろのゴミみたいな人たちを絶対に許しませんし

法律がなければメッタ刺しか家を放火していたレベルです。

 

許すなんて自己犠牲的で加害者に都合の良い綺麗事を鵜呑みにするべきではありません。

 

自分で自分を裏切ってどうするんですか?

 

もっと自分に誇りを持って生きよ

当ブログで何度か話していますが

自分に誇りを持って生きましょう。

見栄のプライドは捨てるべきですが、誇りのプライドは捨てないでください。

 

自分に対して刃を向けてくる人にはこちらも小さな刃でいいので向けましょう。

それができないのであればもうその人と関わらないようにしましょう。

僕は職場で同僚に偉そうにされたらさりげなくキツい言葉を返すようにしていますし(以下の記事)

あわせて読みたい

頭が悪いくせに上からモノを言う人を近寄らせない方法【職場のバカ対策】

 

もっと前の話をすると

勧誘がしつこくてこちらが断ると逆ギレして誹謗中傷してきた女がいたのですが

僕も頭にきたのでLINE上の一連の誹謗中傷をスクショして

その女と女の関係者たちを複数トークに組んで一斉送信し、

関係者の面前で徹底的に論破しつつ、その女のメンターにも謝らせたことで

女のメンツを思いっきり潰しておきました。

女は無理やり強がっていた様子でしたが、公開処刑したことで精神的ダメージは与えられました。

 

あと他にも某外資系生命保険会社の営業マンが理不尽に逆ギレしたり一方的な要求してくるので

うんざりしてSNS全てブロックして縁を切りました。

今思えば証拠をスクショして向こうの営業会社にさらせば良かったのですが…

4年間もその会社で必死に仕事している人なのでやり返しておけばダメージは大きかったはず。

 

あとこれは昔の話ですが、学校で嫌がらせしてくる人に対して

その人が大事に使っているものをぶっ壊したり

正当防衛を口実に思いっきり殴ったこともあります。

今はいい大人なのでこういうことはしませんが…

 

自分がやってきたことに関しては後悔していませんし、

今後も「やられたらやり返すか、もう関わらないようにする」という方針は変わりません。

 

物理的な暴力をすると捕まってしまうので

言葉の暴力を使いこなして相手を牽制できると良いでしょう。

もちろん悪用は厳禁です。

核兵器のようにあくまで自衛としての抑止力にすぎません。

 

あとは筋トレや格闘技をやるとナメられにくくていいでしょう。

マッチョな人に喧嘩を売りたがる人はいないはず。

 

まとめ

  • 「やり返す」系問題は人類の歴史的な悩み
  • 「やられたらやり返す」は実は合理的である
  • 嫌な奴と仲良くしてもいいことはない
  • 「やり返してはいけない」「許す」は理想論や綺麗事
  • もっと自分に誇りを持って生きよ

今回はやられたらやり返すべきか問題について話しました。

最後の方では生々しい話が続きましたが、理想論や綺麗事は言いたくないので…

僕の真似をしろとまで言いませんがやはり小さな抵抗はしておいた方がいいでしょう。

 

とかく自己啓発の世界では人間が善意のある存在として美化されがちですが

世の中にはどうしようもないゴミみたいな人間も普通に存在しますし、

そもそも人間が素晴らしい存在であるなら世の中に争いはないはず。

愛や思いやりで平和になるのなら平和にしてみろよw

 

害虫みたいな人間から自分の身を守るためにも

「やられたらやり返すか、もう関わらないようにする」

という考えを持っておくようにしましょう。

 

間違えても「やられっぱなしの無抵抗」は自己肯定感が激しく低下するので止めましょう。

やり返すのが現実的に難しいなら、関わらないようにすること。

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